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三重県伊賀市 本尊五大明王の祈願寺 
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24日、仏土寺の名誉住職 瀧口光賢僧正が遷化され、その葬儀が執り行われました。

光賢僧正は、愛知県稲沢市の生まれ。
常福寺の先代 日見光雄僧正に師事され、昭和5年に出家。常福寺にて加行、総本山長谷寺に於いて灌頂。本山で修行に励むも、日中戦争・太平洋戦争と続けて出征。戦地で辛酸を舐め、復員後まもなく今の仏土寺に入寺されました。

その後、寺坊の檀務を勤めながら境内を整備。さらには、常福寺の代務住職、蓮勝寺・蓮花寺、その他6ヶ寺もの代務(兼務)住職を勤め、長い間その法燈を守ってくださいました。

柔らかな物腰のご老僧で、伊賀の古老のお一人として、多くの方に親しまれました。

常福寺の檀家筋でも、高齢の方は皆さん光賢僧正をご存じで、「小さい頃に世話になった」「悪さをして、よく怒られた」など、今尚その思い出話をよく耳にいたします。

常福寺に入寺した私を、温かく迎えてくだったことが記憶に残っています。
本山修行時代、奇しくも私の祖父と一緒に修行に励んだそうで「そうか、井上くんの孫か」と、当時の思い出話を懐かしく語ってくださいました。

世壽97歳、法蠟(僧侶の勤続年数)83年。
晩年は病床に臥しておられましたが、戦中戦後の動乱の時代を生きられたご老僧の大往生であります。



常福寺からは、住職が会奉行、私は寺院受付として通夜・葬儀のお手伝いさせて頂きました。台風27号が近づき天候を危ぶみましたが、なんとか出棺まで雨が降らず、滞りなく式を進めることができました。

古老より受け継がれた法燈を、今度は私たちが守っていかねばなりません。

常福寺法類の長老 光賢僧正のご冥福を心よりお祈りいたします。

合掌

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(続き)

私が勤めていた浄光寺は、田端にある與楽寺(よらくじ)という大寺院に類するお寺。
もちろん、通夜・密葬儀ともに、與楽寺の御前 荒木正信 台下ご臨席のもと、組寺院、法類、東京2号支所の寺院さま方のお力添えを頂いて、滞りなく厳かにお勤め頂いた。

弟子筋といっても、私たちは東京の作法が何も解らぬ田舎者ばかり。特に会奉行を勤められた五十嵐先生や、組寺院の皆さま、與楽時御山の皆さまには微に細にご教導いただきました。


8月19日は、ご住職の本葬儀。
受付で檀信徒の皆さまをお迎えするつもりだった私は、ご指名を受けて、職衆の末席に座らせて頂くことが出来た。


周りを見渡せば、真性寺、與楽寺、金剛寺、城官寺、東覚寺、養福寺、無量寺、西福寺…、東京2号の名刹が並ぶ中に、イレギュラーな私たち(故人の弟子)が2人座している。
供数を調整したと伺ったが、私はご葬家や会奉行さま方の粋な計らいで、法要に参加させてくださったのだと思っている。

ご住職の本葬儀で、一人 四智梵語を唱えだす。
上京してお会いする度に、もう一度この方と一緒に拝みたいと幾度思ったことか。このような形で、実現するとは。こんなに早く、ご住職の葬儀をすることになろうとは…。

異例のご指名でしたが、私はふつふつと闘志を燃やしていました。きっと 私は、この日の為に研鑽を積んできた。いま自分がお唱えできる、最高のお唱えを故人に捧げたいと。

さて…、出来はだったのでしょう。幾人かにお誉めの言葉を頂きましたが、本人はよく判っていません。ただ丁寧に、心を込めてお唱えしたことは確かです。


先代(故人)が私たちの前から居なくなられて、早3ヶ月。もうすぐ百ヶ日忌を迎えようとしています。あまりにも大きな存在がいなくなることなんて全く想像できなかったけれど、残された皆さんがその穴を埋めようと、力を合わせて寄り添うように一生懸命に頑張られています。

特にご子息は、止まっていた時計の針が進み出したかのように、後継者の自覚と責任をもって、名刹 浄光寺の住職としての道を歩みだされました。まだまだ経験不足、周囲の皆さまに迷惑を掛けることも多々あるでしょうが、これから経験を重ねて、先代のように立派に、浄光寺の法燈を守っていかれることでしょう。

遠方に住居している、何の役にも立たない微力な私ですが、せめて有事には駆け付け、露払いや誰かの替わりに頭を下げるくらいのことは出来るでしょう。

これまで受けた大恩を、本人に返すことはもう出来ないので、せめて故人が大切にされていた令夫人やご子息の力になって差し上げることが、自分に出来る恩返しだと思っています。

7月10日 早朝、あまりにも突然にその訃報は届いた。

若い頃、東京で勤めさせて頂いたお寺のご住職の急逝。享年64歳。

朝、日課である境内清掃を済ませ、家族と一言二言会話を交わした後、少し具合が悪いと横になったそのまま遷化された。大好きだったお酒も近頃はめっきり減り、健康的な体調管理をされていただけに、にわかに信じることは難しかった。

訃報を受けて、当日の仕事を手配して、慌てて東京に向かった。
お寺に着いたのは、夕刻。通夜葬儀の支度が進んでいたが、枕経には間に合った。お世話になった弟子の一人として、ご子息、令夫人と交代で、線香番を勤めさせて頂いた。


まるで昼寝をしているような安らかなお顔。ご住職の尊顔に一人向かうと、溢れるように言葉が湧いてきた。

縁もゆかりも無い私を、まるで息子のように可愛がってくださった。
在職中はもちろん、退職して長谷寺に勤めた後も、結婚して家庭を持ってからも、東京に行く時には時折連絡を入れて、食事をご馳走になったり、お寺に泊めて頂いたりと、厚かましいことこの上ない元部下をいつも温かな笑顔で迎えてくださった。

上司と部下を越えた、親子のような師弟関係。一緒に過ごした多くの時間が思い出される。そこには、ただただ感謝の思いしか湧いてこなかった。


通夜と密葬儀は、承仕として法要の裏方を勤めさせて頂いた。悲しくて、大声を出して泣きたくなる時もあったけど、自分以上に、令夫人やご家族、住職のお友達の皆さんの悲しみを思うと、私一人感情のまま涙を流す訳にはいかなかった。

火葬場でご遺体が荼毘にふされている間、東京では軽い酒肴をもってその時間を過ごすのが一般的。
「故人にも酒を注いでやろう」という声が上臈から聞こえたので、気を効かせてグラスを持参すると、「そうだ、中山くんが注いであげなさい。それが、故人が一番喜ぶよ」とビール瓶を渡された。

住職の幼い頃からの友人・先輩、大勢深い関係の方々がおられるなか、物言わぬ遺影に注ぐ冷えたビール。

これまで、幾度この方にお酌をしてきたか。もう、この方の笑顔を見ることは出来ない。二度と、こうしてお酌をすることも出来ないのか…。そう思うと、無性に感情が高まって、涙を堪え切れなくなった。周囲の皆さまに会釈して、廊下に飛び出して、一人嗚咽を漏らした。

(続く)

17日 青少年研修会を中抜けして、長谷寺 塔頭 能満院さまへ。



塔頭(たっちゅう)とは、大きな寺院の敷地内にある小寺院や別坊のこと。
能満院(のうまんいん)は、長谷寺の長い階段を登り切った右手、納経所のさらに奥まったところに位置する、代々長谷寺の化主(住職)や学頭を排出してきた由緒ある子院です。

ご住職の大河内海光さんは、本山研修所の1つ上の先輩であり、公私ともに親しくお付き合いさせて頂いている間柄。ご詠歌も一緒に詠秀になり、今では二人で力を合わせて大師講奈良教区を盛り立てています。


(堂内では、大般若に併せて不動護摩が焚かれます)

もう10年ほどになりますか。有難いことに、毎年お声が掛り、大般若法要に出仕させて頂いています。奈良支所のお寺さま方と大般若法要をお勤め後は、水子供養塔で水子幼没者のご供養。例年、厳しい暑さですが、大勢のご参詣者がお見えになります。

 大般若について詳しく知りたい方は、過去ブログ『般若の風』をご覧ください。


初めて参加した頃は、私が一番若いお坊さんでしたが、気が付けばそろそろ中堅…。世代交代が進み、見知った後輩の顔も増えてきました。大般若を転読する(大声で経典の名前を読み上げる)音声も、正直言うと、若者には適わなくなってきた気がします(汗)。


(能満院の番犬見習い”たび”くん。白い足元がその名の由来)

普段、三重で活動している私ですが、お蔭さまで、奈良のお寺さま方と交流できるありがたい機会を頂いています。

今年のお盆は、厳しい酷暑のなか、個人的にかなりの過密スケジュールとなりました。備忘録を兼ねて、こちらに列記してみます。

① 兼務寺・常福寺のお施餓鬼、棚参り
 8月初め~10日 お施餓鬼、11日~15日 棚参りと、これは例年行事。
先のブログに記したように、息子が参加してくれたこともあって、厳しい暑さも和やかにお勤めできました。

② 2件のお葬式

 お盆の直前・直後に、檀家さんがお二人 亡くなりました。
 10日 お施餓鬼の後に枕経、棚参りの合間に密葬(火葬)、15日の棚経終わりに枕経、続けて通夜・葬式…。特に お盆直前に亡くなった方は、ご遺体をお盆中 保冷し続ける訳もいかず、常とは異なる火葬→本葬儀の手順で。
 忙しい中も、心を込めて粛々とお送りしました。

③ 青少年研修会

 16日17日 三重支所主催の青少年研修会
今年も総本山長谷寺を会場に、多くの児童が集まりました。


(お授け法要の会場となる、御影堂)

お盆 棚参りで体力はへとへと…、しかもお葬式ともう一つ法要が重なり、日程の半分しか協力できませんでした。


(ここ数年は、歌のお兄さんとして活躍?してます)

息子は、小学校の友達7名と一緒に参加。常福寺から11名と、多くの児童を送り出せました。

④ 能満院大般若

 17日 青少年研修会を中抜けして、本山塔頭の法要に出仕。

 こちらは、後日ブログ『塔頭能満院 大般若法要』をご覧ください。


⑤ 常福寺 浴日(本尊五大明王 御開帳)

 18日 年3回ある御開帳日の一つ。午前に団体参拝あり。他にも、個人の参詣者が多くお参りくださいました。じわじわと、徐々にですがお参りの増加を肌で感じています。
 東京で所用あり、午後から新幹線で移動。

⑥ 浄光寺 義照師 本葬儀

 19日 東京でお世話になった恩師の本葬儀に出仕。
 こちらも後日、ブログにて詳しく掲載いたします。


以上、酷暑の中、仕事が重なりかなりの過密日程となりました。

空中ブランコのように、あっちこっちに移動してなんとか勤めを果たす…。いやぁ、よく渡り切ることが出来ましたねぇ。

その後、数日は、燃え尽きたようにぼーーっとして過ごしました。

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プロフィール
HN:
和光さん
性別:
男性
職業:
副住職
趣味:
読書、息子と遊ぶこと
自己紹介:

真言宗豊山派のお坊さん

大和国は豊山長谷寺の門前町に生を受け、仏縁あって僧侶に。
伊賀国は江寄山常福寺の副住職になりました。

現在檀務と共に、ご詠歌、声明ライブ、豊山仏青、歩き遍路など、色々活動しております。
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