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三重県伊賀市 本尊五大明王の祈願寺 
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東日本大震災から 4年がたった、正に3月11日。

東京国際フォーラムにて開催された「東日本大震災復興への祈り 復幸 ~お大師さまとともに~」に参加出演してきました。



こちらは、真言宗豊山派 仏教青年会 が開催したチャリティコンサート。

「今なお困難な状況にある被災地。震災の記憶を風化させることなく、自分たちに出来ることを続けていく。被災された皆様の笑顔が見られるよう、復幸(またしあわせ)を取り戻せるように、一日も早い復興を祈念すべく会員一同一丸となって準備をすすめた」
とは仏青会長 根本聖道 師の言葉(パンフレットより一部抜粋)

私も 会員の一人として、駆け付け、威儀を正して、大きな声でお唱えしました。
犠牲となった多くの皆さまの追悼のために、そして被災地のより確かな復興、被災された皆さま一人一人の心の復幸のために、心を込めて…。


微かな力ですが、思いを行動で示すことって大切です。
4000人の聴衆と共にお唱えした、復幸への祈り。一人一人の微かな力が、賛同する皆さまによって合わさり、大きなうねりとなって昇華しました。

しかし豊山派仏教青年会は、これに満足せず、復幸への尽力を惜しまず続けていくことでしょう。また別の場所、別の形で、皆さまの眼にも届くかと。


今回は、参加させて頂けてよかった。
無力な私でも、大きなうねりに力を添えることが出来ました。

今後も、自分の出来ることをこつこつ続けていかねば、そう再確認した夜でありました。

※写真は、Facebookページ 3.11「復幸」コンサートよりシェアしました


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新年、明けましておめでとうございます。

2015年の年明けは、寒波の影響で、大晦日から元日にかけて、ごうごうと唸るような強風が吹き止まず。さらに2日3日は、10cm近い積雪で名阪国道が連日ストップするなど、お参りに不向きな天候が重なりました。


(3日 9時頃の境内)


(お寺から在所の風景)

気温も低く、強い風や積雪とあってはお参りの足も鈍るものです。

それでも、恒例の元朝法要に始まり、寺総代や地区の役員さま方、毎年お参りくださるお檀家さま、篤信のご家族、近郊にお住まいの皆さま。また遠路、本尊五大明王のご開帳に合わせてお参りくださった方々など、除夜の鐘から正月三が日にかけて多くの皆さまがご参拝くださいました。

3日の初護摩には、昨年と同じ5名のお坊さんにご助法いただきました。今年も、総本山長谷寺で厳しい修行を積んだ面々を中心に、新年らしく華があり、皆さまに元気と活力をお分けするような法要を修めることができました。

当日は、足元に雪が残るも、青空が澄みわたる良い天気になりました。
各法要の後は、地元業者 株式会社キタモリ さま、メモリアルホール紫蘭(しらん)さま、
伊賀上野で人気のパン屋 liaison(リエゾン)さまのご協力により、うどん・けんちん汁の振る舞い、笹酒や甘酒の振る舞い、子供さん用にお菓子のつかみ取りや わた菓子、パンやラスク(お土産)の販売などなど、ご接待いただきました。


(午前の法要後、境内の様子)

大変荒れた天候で始まった新しい年ですが、慌ただしいのはこれで一旦納めて、どうか穏やかな一年であって欲しいと切に願います。

東日本大震災以降も、火山の噴火、土砂崩れ、台風、ゲリラ豪雨など猛威を振るう異常気象。私たち日本人は、常に自然災害と向き合いながら生きていくしかありません。

大切なことは、不安な日々のなかで、今ある小さな幸せに気付けるかどうか。ささやかな幸福感、一握の希望、一時の安寧、それらに感謝して、日々を積み重ねていくことが本当の幸せに繋がるのだと思います。

ご協力いただきました全ての方々に心から御礼申し上げると共に、このブログをお読みくださった皆さまのご健康とご多幸をご祈念申し上げ、新年のご挨拶といたします。

※ 情報誌YOU のホームページでも、初祈祷の様子がご覧いただます。

(前回のつづき)

「教授・壇行事・讃衆」

灌頂講社の皆さま方、お世話になったどなたも、一つ一つのご縁で結ばれています。

お世話になった先生方、ご縁の深い先輩・後輩が、私たちの法会を成功させる為に、壇行事を勤め、護摩を焚き、讃を唱える。写真を撮り、下作業をし、灌頂そのものを万事滞りなく進める。
その姿は、一つ一つが大変ありがたく感動的でありました。

讃衆の皆さまが、成満した我々に「おめでとうございます!!」と一斉に傅いてくださった姿は身が震えました。

檀行事の加藤先輩が、わざわざ讃所で締めの東方讃を頭出しくださったことは、その声で即かに理解して壇上でしびれました。

出会った頃はたった5歳だった少年も、立派な青年僧に成長して讃衆の仲間入りをしていました。

全ての体験が、まさに法悦。
法会が進むにつれ、この素晴らしい時間がもうすぐ終わってしまうのかと、少し寂しい心地になりました。



「便壇阿闍梨の皆さま」

今回、與楽寺でお世話になった10名の便壇阿闍梨さま。

その内、大学の同級生が2人、旧知の方が2人。残り5名は初見の皆さまでした。
同じ目標に向かって一緒に学び、情報を交換し 共に研鑽してきた、いわば同志のような存在です。

最初は緊張して、各自会話もそこそこに経典に向き合っていましたが、成満する頃はすっかり打ち解け仲良くなりました。このご縁を大切に、年に一度くらい同期で集まろうかと話しています。

何より、一﨟(いちろう:席次一番)の柳沢僧正が 素晴らしい存在でした。
年長ながら控えめなで実直。万事、真面目に当られる。その存在によって座が締まる、皆の手本となる一﨟さまでした。


以上、伝法灌頂 便壇阿闍梨成満の備忘録として。

伝法灌頂を振り返って、その体験は誠に素晴らしいものでありました。

真言密教における最重要の儀式。
しかも、自分が阿闍梨になって 初めて弟子を迎えるとあり、真摯に臨んだこの法会。軽い高揚と緊張が入り混じる中、粛々と儀式は進みました。

法会が終わり、大勢の皆さまからお祝いと労いの言葉を掛けられる段になって、想像していた以上の大きな感動が湧き上がってきました。

多くのご縁を感じて、
心の底から「ありがたい。自分はなんと恵まれているのか」と目に涙が滲んだものです。

その感想を、思いつくまま記してみます。


「新弟子」

初めて会った新弟子は、東京のお寺の息子さん。
薬剤の勉強をしていて、近く国家試験を受ける、私にはもったいないほど優秀な青年です。

しかし、仏門においては、まさに新発意(しんぽっち)
着なれない法衣を着せられ、所在なさげに おどおど不安そうな様子でした。

それを見て直感しました。…これは、20数年前の自分の姿だと。

訳も分からぬまま仏門に入り、右も左も知らぬ人ばかり。
ただ言われるがまま、言葉を発し、印を結び、右往左往している。不安そうな表情は、そのまま過去の私でした。

そんな私も、闇雲に ただ手探りしながら仏門を歩むこと20数年。
ありがたい多くのご縁を頂いて、一山の住職になり、それなりの経験も積んで、今回の法会に臨むことができました。

仏門に入ってからの一つ一つの出会い、ご縁がまさに今の自分を形作る財産となった。それらが今回、伝法灌頂の阿闍梨として一つの実を結ぶに至った。そう考えると、本当に有難くて、ただただ感謝の言葉しか浮かんできませんでした。

「與楽寺灌頂道場」

私にとって初めての地方会場。
本山の厳粛な空気はよく知っていますが、やはり様子は少し異なりました。

どう表現すればいいのか…
そうですね、いい意味でアットホームな雰囲気。

荒木御前さまを筆頭に、與楽寺法流、地元、またお手伝いの方々で組織された灌頂講社の皆さまは、さまざまな点でご配慮くださり、便壇一同、和やかな雰囲気で厳修。そして成満に至ることが適いました。

率直に、與楽寺さまで厳修できて正解だったと思います。

(次回につづく)

この度、私がお世話になった灌頂道場は、東京田端の與楽寺(よらくじ)さま。

伝法灌頂は、総本山長谷寺でも毎年開壇されており、そちらで厳修する選択肢もありましたが、諸般の事情により與楽寺さまとご縁を結んだ次第。


(田端 與楽寺さま 本堂)

当然、多くの方に「どうして長谷寺で受けなかったの?」「そっちの方が近かったのに…」と素朴な疑問を頂きました。

仰るとおりだと思います。長谷寺の門前で生まれて、四度加行も灌頂(受者)も、本山研修生、本山職員と、全て長谷寺でお世話になってきた。
寺坊も近いのに、どうして…?

今回は、備忘録も兼ねて、その理由を纏めてみます。


結論から云うと、與楽寺さまと浅からぬ仏縁が重なったこと。

① そもそも、祖父が若い頃、與楽寺法類の阿遮院さまで修行していたこと。

伝聞のみで、細かい師弟関係まで確認できていませんが、確かに祖父 慈光の「慈」はその法流に属する証になります

② 大学時代、随身(ずいしん:住み込みでお手伝い)していた圓明院さまも、本山研修後に就職した浄光寺さまも、みな與楽寺法類だったこと。

③ 特に、浄光寺の先代 日暮義照 僧正には、
大変 可愛がって頂き、その縁故で、與楽寺の現貫主 荒木正信 台下を始め、教授を勤められた根岸先生、顧問の五十嵐先生など、今日 與楽寺法類の中核を担う、多くの皆さまに面識を得、親しくお声掛け頂けるようになったこと。

④ 長谷寺在職中には、與楽寺の先代 岩脇宏信 台下(当時の本山事務長)にお世話になったこと。

結婚披露宴の際、頂いた主賓挨拶で「中山くんと私は、同じ與楽寺法類」と、その時まで本人が気付いていなかった仏縁をお話しくださいました。

⑤ 本山研修所の先輩、灌頂の壇行事を勤められた加藤達彦さんが「中山が来るなら、俺が担当したい」と言ってくれたこと。

有り難いことに、道場選びは元より、習礼や錬行、その他諸々の相談に親身に乗ってくださいました。

などなど…。
書いていけばきりがありませんが、ノーブランドだと勝手に思い込んでいた中山和光という馬の骨は、本人も気付かぬ間に、與楽寺法類の皆さまの一方ならぬお世話になっていたのです。

20数年前、右も左も分からずに仏門に入った私ですが、お世話になった指導の先生方は、きちんと正しい道筋に導いてくださっていたのだな…と、今更になって改めて感謝しております。


(與楽寺さま玄関口。ここで新弟子と対面しました)


一番の理由は、やはり浄光寺の先代 日暮義照 僧正との約束です。

昨年遷化される前に、伝法灌頂を與楽寺で受けたい旨を相談したら
「そっか、荒木さんに言っておくよ」と嬉しそうに目を細めておられました。

奇しくも、今年の便壇には、浄光寺の弟子筋が3人も並びました。

伝法灌頂を終え、恩師の墓前で 便壇成満のご報告。
故人との約束を、一つ果たすことが適いました。

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プロフィール
HN:
和光さん
性別:
男性
職業:
副住職
趣味:
読書、息子と遊ぶこと
自己紹介:

真言宗豊山派のお坊さん

大和国は豊山長谷寺の門前町に生を受け、仏縁あって僧侶に。
伊賀国は江寄山常福寺の副住職になりました。

現在檀務と共に、ご詠歌、声明ライブ、豊山仏青、歩き遍路など、色々活動しております。
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