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三重県伊賀市 本尊五大明王の祈願寺 
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愛知・岐阜・三重の三県に拡がる東海三十六不動尊霊場を、檀信徒の皆さまとお参りしている常福寺巡拝団。第4回は、岐阜から愛知北西の5ヶ寺を参拝しました。

今回お参りする行程は、当霊場の最北を目指す長距離コース。
可能であれば一泊してゆっくりお参りしたかったのですが、ご参加いただいている皆さまの希望で日帰りに。道中は、豊山太鼓“千響”による声明+和太鼓のコンサートDVDを観賞して頂きました。



第33番 谷汲山華厳寺は、西国三十三所観音霊場の結願所。
私たち常福寺巡拝団も、4年前にお参りして西国巡拝満願を迎えたばかりで、当時参加されていた方々が「あの時はこうだったね~」と思い出を振り返っておられました。紅葉にはまだ早く、参詣者も多くなかったように感じました。



第32番 圓鏡寺は、弘法大師創建の古刹。一万四千坪もある広大な境内に、堂宇が分散して建っているユニークなお寺です。
話は聞いていたのですが、圓鏡寺が幾つも存在するような配置で少し迷ってしまいました。本堂正面の大池には、見事に太った鯉たちが悠々と泳いでいました。

さて、個人的に今回は、第3番 愛知一宮の地蔵寺さまにお参りすることが一番の楽しみでした。

今から17年ほど前、私が総本山長谷寺で修行していた際に、こちらのご住職 水谷堅照先生が事務長として赴任され、その侍者を勤めたことがあります。



退任後、お会いする機会はめっきり減りましたが、時折お顔を合わせると、親しくお声掛けくださる阿闍梨さまのお一人です。
随分お歳を召されましたが、老いて尚壮健なご様子。私たち巡拝団の一行に、懐かしい思い出話を聞かせてくださいました。


(第4番 萬徳寺も真言宗豊山派のお寺です)

今回は、バス移動が長いので帰りを心配したのですが、そう遅くならずに帰ってこれました。水谷先生の元気そうなお姿に拝して、気分は大満足。満ち足りた気持ちで、帰坊することが出来ました。

次回の霊場巡拝は10月末。名古屋方面を予定しています。

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(続き)

私が勤めていた浄光寺は、田端にある與楽寺(よらくじ)という大寺院に類するお寺。
もちろん、通夜・密葬儀ともに、與楽寺の御前 荒木正信 台下ご臨席のもと、組寺院、法類、東京2号支所の寺院さま方のお力添えを頂いて、滞りなく厳かにお勤め頂いた。

弟子筋といっても、私たちは東京の作法が何も解らぬ田舎者ばかり。特に会奉行を勤められた五十嵐先生や、組寺院の皆さま、與楽時御山の皆さまには微に細にご教導いただきました。


8月19日は、ご住職の本葬儀。
受付で檀信徒の皆さまをお迎えするつもりだった私は、ご指名を受けて、職衆の末席に座らせて頂くことが出来た。


周りを見渡せば、真性寺、與楽寺、金剛寺、城官寺、東覚寺、養福寺、無量寺、西福寺…、東京2号の名刹が並ぶ中に、イレギュラーな私たち(故人の弟子)が2人座している。
供数を調整したと伺ったが、私はご葬家や会奉行さま方の粋な計らいで、法要に参加させてくださったのだと思っている。

ご住職の本葬儀で、一人 四智梵語を唱えだす。
上京してお会いする度に、もう一度この方と一緒に拝みたいと幾度思ったことか。このような形で、実現するとは。こんなに早く、ご住職の葬儀をすることになろうとは…。

異例のご指名でしたが、私はふつふつと闘志を燃やしていました。きっと 私は、この日の為に研鑽を積んできた。いま自分がお唱えできる、最高のお唱えを故人に捧げたいと。

さて…、出来はだったのでしょう。幾人かにお誉めの言葉を頂きましたが、本人はよく判っていません。ただ丁寧に、心を込めてお唱えしたことは確かです。


先代(故人)が私たちの前から居なくなられて、早3ヶ月。もうすぐ百ヶ日忌を迎えようとしています。あまりにも大きな存在がいなくなることなんて全く想像できなかったけれど、残された皆さんがその穴を埋めようと、力を合わせて寄り添うように一生懸命に頑張られています。

特にご子息は、止まっていた時計の針が進み出したかのように、後継者の自覚と責任をもって、名刹 浄光寺の住職としての道を歩みだされました。まだまだ経験不足、周囲の皆さまに迷惑を掛けることも多々あるでしょうが、これから経験を重ねて、先代のように立派に、浄光寺の法燈を守っていかれることでしょう。

遠方に住居している、何の役にも立たない微力な私ですが、せめて有事には駆け付け、露払いや誰かの替わりに頭を下げるくらいのことは出来るでしょう。

これまで受けた大恩を、本人に返すことはもう出来ないので、せめて故人が大切にされていた令夫人やご子息の力になって差し上げることが、自分に出来る恩返しだと思っています。

7月10日 早朝、あまりにも突然にその訃報は届いた。

若い頃、東京で勤めさせて頂いたお寺のご住職の急逝。享年64歳。

朝、日課である境内清掃を済ませ、家族と一言二言会話を交わした後、少し具合が悪いと横になったそのまま遷化された。大好きだったお酒も近頃はめっきり減り、健康的な体調管理をされていただけに、にわかに信じることは難しかった。

訃報を受けて、当日の仕事を手配して、慌てて東京に向かった。
お寺に着いたのは、夕刻。通夜葬儀の支度が進んでいたが、枕経には間に合った。お世話になった弟子の一人として、ご子息、令夫人と交代で、線香番を勤めさせて頂いた。


まるで昼寝をしているような安らかなお顔。ご住職の尊顔に一人向かうと、溢れるように言葉が湧いてきた。

縁もゆかりも無い私を、まるで息子のように可愛がってくださった。
在職中はもちろん、退職して長谷寺に勤めた後も、結婚して家庭を持ってからも、東京に行く時には時折連絡を入れて、食事をご馳走になったり、お寺に泊めて頂いたりと、厚かましいことこの上ない元部下をいつも温かな笑顔で迎えてくださった。

上司と部下を越えた、親子のような師弟関係。一緒に過ごした多くの時間が思い出される。そこには、ただただ感謝の思いしか湧いてこなかった。


通夜と密葬儀は、承仕として法要の裏方を勤めさせて頂いた。悲しくて、大声を出して泣きたくなる時もあったけど、自分以上に、令夫人やご家族、住職のお友達の皆さんの悲しみを思うと、私一人感情のまま涙を流す訳にはいかなかった。

火葬場でご遺体が荼毘にふされている間、東京では軽い酒肴をもってその時間を過ごすのが一般的。
「故人にも酒を注いでやろう」という声が上臈から聞こえたので、気を効かせてグラスを持参すると、「そうだ、中山くんが注いであげなさい。それが、故人が一番喜ぶよ」とビール瓶を渡された。

住職の幼い頃からの友人・先輩、大勢深い関係の方々がおられるなか、物言わぬ遺影に注ぐ冷えたビール。

これまで、幾度この方にお酌をしてきたか。もう、この方の笑顔を見ることは出来ない。二度と、こうしてお酌をすることも出来ないのか…。そう思うと、無性に感情が高まって、涙を堪え切れなくなった。周囲の皆さまに会釈して、廊下に飛び出して、一人嗚咽を漏らした。

(続く)

17日 青少年研修会を中抜けして、長谷寺 塔頭 能満院さまへ。



塔頭(たっちゅう)とは、大きな寺院の敷地内にある小寺院や別坊のこと。
能満院(のうまんいん)は、長谷寺の長い階段を登り切った右手、納経所のさらに奥まったところに位置する、代々長谷寺の化主(住職)や学頭を排出してきた由緒ある子院です。

ご住職の大河内海光さんは、本山研修所の1つ上の先輩であり、公私ともに親しくお付き合いさせて頂いている間柄。ご詠歌も一緒に詠秀になり、今では二人で力を合わせて大師講奈良教区を盛り立てています。


(堂内では、大般若に併せて不動護摩が焚かれます)

もう10年ほどになりますか。有難いことに、毎年お声が掛り、大般若法要に出仕させて頂いています。奈良支所のお寺さま方と大般若法要をお勤め後は、水子供養塔で水子幼没者のご供養。例年、厳しい暑さですが、大勢のご参詣者がお見えになります。

 大般若について詳しく知りたい方は、過去ブログ『般若の風』をご覧ください。


初めて参加した頃は、私が一番若いお坊さんでしたが、気が付けばそろそろ中堅…。世代交代が進み、見知った後輩の顔も増えてきました。大般若を転読する(大声で経典の名前を読み上げる)音声も、正直言うと、若者には適わなくなってきた気がします(汗)。


(能満院の番犬見習い”たび”くん。白い足元がその名の由来)

普段、三重で活動している私ですが、お蔭さまで、奈良のお寺さま方と交流できるありがたい機会を頂いています。

今年のお盆は、厳しい酷暑のなか、個人的にかなりの過密スケジュールとなりました。備忘録を兼ねて、こちらに列記してみます。

① 兼務寺・常福寺のお施餓鬼、棚参り
 8月初め~10日 お施餓鬼、11日~15日 棚参りと、これは例年行事。
先のブログに記したように、息子が参加してくれたこともあって、厳しい暑さも和やかにお勤めできました。

② 2件のお葬式

 お盆の直前・直後に、檀家さんがお二人 亡くなりました。
 10日 お施餓鬼の後に枕経、棚参りの合間に密葬(火葬)、15日の棚経終わりに枕経、続けて通夜・葬式…。特に お盆直前に亡くなった方は、ご遺体をお盆中 保冷し続ける訳もいかず、常とは異なる火葬→本葬儀の手順で。
 忙しい中も、心を込めて粛々とお送りしました。

③ 青少年研修会

 16日17日 三重支所主催の青少年研修会
今年も総本山長谷寺を会場に、多くの児童が集まりました。


(お授け法要の会場となる、御影堂)

お盆 棚参りで体力はへとへと…、しかもお葬式ともう一つ法要が重なり、日程の半分しか協力できませんでした。


(ここ数年は、歌のお兄さんとして活躍?してます)

息子は、小学校の友達7名と一緒に参加。常福寺から11名と、多くの児童を送り出せました。

④ 能満院大般若

 17日 青少年研修会を中抜けして、本山塔頭の法要に出仕。

 こちらは、後日ブログ『塔頭能満院 大般若法要』をご覧ください。


⑤ 常福寺 浴日(本尊五大明王 御開帳)

 18日 年3回ある御開帳日の一つ。午前に団体参拝あり。他にも、個人の参詣者が多くお参りくださいました。じわじわと、徐々にですがお参りの増加を肌で感じています。
 東京で所用あり、午後から新幹線で移動。

⑥ 浄光寺 義照師 本葬儀

 19日 東京でお世話になった恩師の本葬儀に出仕。
 こちらも後日、ブログにて詳しく掲載いたします。


以上、酷暑の中、仕事が重なりかなりの過密日程となりました。

空中ブランコのように、あっちこっちに移動してなんとか勤めを果たす…。いやぁ、よく渡り切ることが出来ましたねぇ。

その後、数日は、燃え尽きたようにぼーーっとして過ごしました。

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プロフィール
HN:
和光さん
性別:
男性
職業:
副住職
趣味:
読書、息子と遊ぶこと
自己紹介:

真言宗豊山派のお坊さん

大和国は豊山長谷寺の門前町に生を受け、仏縁あって僧侶に。
伊賀国は江寄山常福寺の副住職になりました。

現在檀務と共に、ご詠歌、声明ライブ、豊山仏青、歩き遍路など、色々活動しております。
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