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三重県伊賀市 本尊五大明王の祈願寺 
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続けて、『伊風道々 ~ありがたや 大師と巡る 伊賀の国~』について更新。

ご参加いただいた皆さまが撮影された写真を、幾つか手に入れたので紹介いたします。
今回お越しになれなかった方も、オフショットをお楽しみください。


まずは、英哲風雲の会の皆さま

左から、谷口卓也さん、上田秀一郎さん、岩田龍誠さん
今回は、記念イベントの目玉。千響コンサートで、主軸を担って頂きました。

実際お会いした感想、皆さん、とても爽やかで清々しい。ひたすらに太鼓を叩き続けていると、人格も磨かれるのでしょうか。雑味のない、とてもいいお顔をされていました。




続けて、千響コンサートの様子を2枚

今回 私は、舞台裏で、舞台監督のお手伝いや演者さんのお世話、来賓のご案内などに汗を流していました。客席から見ると、こんな風になっていたのですね。

2枚目は、下手から 木村量弘 委員長の力強い雄姿をパシャリ☆




別会場につき、顔を出せなかったのですが、
西大寺(真言律宗)の皆さまによる大茶盛の様子です。

こんな大きな茶碗でお抹茶を頂くのですよ!
器が大きすぎて、たいていは両脇の方に支えて頂くとか、量が多すぎて飲みきれないのがあるあるです。自然と、皆さまいい笑顔に(笑)


最後は、ゆるキャラ

伊賀のゆるキャラ、しのぶ と にん太が皆さんをお出迎え!
白鳳幼稚園児など、子供たちに大人気でした。

他にも、高野山から「こうやくん」が来てくれたり。
写真は、伊賀が誇る イケメン美坊主(豊山)と4ショット!!

他にもたくさん催しを行ったのですが、今回写真を入手できたのはこの程度。今後、伊賀四国霊場会のブログでも、追々 当日の様子が更新されていくことでしょう。

今回のお写真は、主にFacebookに公開されていたものをシェアさせて頂きました。写真をお借りした皆さまに、この場をもって御礼申し上げます。ありがとうございました。

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11月9日、伊賀市文化会館・サンピア伊賀にて実施いたしました『伊風道々 ~ありがたや 大師と巡る 伊賀の国~』

伊賀四国八十八ヶ所霊場 開創150周年の目玉となるイベントは、お蔭さまで1500名を越える皆さまにご来場いただき、盛大に催すことが出来ました。
ご協力・ご協賛いただいた関係各位、ご来場いただいた皆さま、全ての方々に感謝の気持ちを込めて御礼申し上げます。誠に、ありがとうございました。

さて 正直なところ、この記念イベント、余りにたくさんやりたい事を詰め込み過ぎて、広げた風呂敷を結べないんじゃないかと心配していました。

霊場という組織の大きさも関係するのか、遅々として進まぬ支度。埋まらぬパズルのピース。直前に追い込みをかけ、なんとか当日までに端っこを結べたような感想です。


(千響コンサート プログラム)

有り難いことに、自分が担当した“千響コンサート”は、後日、どなたから感想を聞いても「素晴らしかった!」「また聞いてみたい」「どうやって、あんな見事な演奏が出来るのか?」「千響の追っかけをしようかしら?」と賛辞の嵐を頂きました。

豊山太鼓“千響”の熱のこもったお唱えと演奏が、多くの聴衆の心を揺り動かし、満ち足りた気持ちにしてくださいました。北は福島、南は愛媛からお集まり頂いた、45名の皆さま。
やはり、豊山太鼓“千響”にお願いして間違いはありませんでした。

(千響コンサート リハーサル風景)

しかし裏方は、周到に準備したつもりでも、様々なアクシデントが生じましたね。それぞれがどんなに一生懸命動いても、大小のミスは生じるもの。問題にはその都度対処するのみですが、正すべきは準備不足。怠慢こそ敵とせねばなりません。

今回、人と人の間を取り持つ仕事に携わり、多くのことを学ばせて頂きました。

準備すること1年以上、直前までさまざまな問題や困難が生じましたが、ご来場いただいた皆さまの満足そうな笑顔を頂いて、それら全てが報われたような気がします。あれだけのイベントを、事故ゼロ・怪我人ゼロ で終われたのですから御の字でしょう。

霊場開創150周年という機会に、実行委員として携われたことは、誠にありがたい仏縁でした。伊賀四国霊場の歴史に、新たな1ページが刻まれました。

お坊さんが法衣を着て拝む、お勤めをする時って、携帯をそう使う必要がないのです。
自宅で拝む時は、携帯を不携帯。たとえ外出時に忘れてしまっても、近所ならそう困ることがなかったのですが…。

やってしまいました、先月末の出張。
ご詠歌全国大会の為に、栃木まで前乗りする予定が。携帯を忘れてしまったことに気付いたのは、名古屋へ向かう特急の中でした。

あ~ぁ、忘れないよう気を付けなきゃと、充電して出しておいたのに。カバンに、しっかり納まっている充電器の姿がとても悲しい。

そこから先は大変でした。駅で公衆電話を探して、自宅に電話。10円玉はすぐ無くなるので、10数年ぶりにテレカを購入。妻にスマホを操作して貰って、今晩約束している友人の携帯番号を失くさないようメモに取る。



新幹線も、普段ならスマホで予約して待ち時間なく乗車できるのですが、やむなく緑の窓口に並んで、少し後の便のチケットを手に入れる。不便は不便でしたが、一連の流れがどこか懐かしく、まるで数年前にタイムスリップしたような感覚になりました。

栃木に着いて、約束していた大学時代の友人たちと合流できたら、ほっと一安心。旧友たちに笑いのネタを一つ提供した形になりましたが、気が置けない仲間たちと楽しい時間を過ごせたので無問題です。

ホテル据付のPCで、翌日の乗り換え、駅から会場への地図をチェック。
翌朝は、無事に全国大会の会場へ着いて、詠秀の模範奉詠に加わることができました。もちろん携帯がないので、2日間 写真の一枚も撮れませんでしたが(苦笑)

大過なく帰宅して、忘れていた携帯を確認したら、そこには着信とメールが何件も…。マーフィの法則ではありませんが、こんな時って重なるんですよね。
某後輩くんは、火急の用件があったらしく、前日から何度も何度も連絡をくれていたようでした。(タッキー、ごめんね)

今回の出張、私は、携帯(スマホ)が今ほど便利でなかった時代の人間なので、昔を思い出して対応しましたが、今の便利なスマホ世代って、こんな時ちゃんと対応できるのでしょうか?
妻に問いかけると「そもそも、携帯を忘れないんじゃない?」と的を得た回答。はい、ごもっともですね。

出張を終えた私の手元には、今回大活躍したテレホンカードが一枚。次の出番がこないことを願いつつ、でも心配だから大切にパスケースにしまっておきます。

24日、仏土寺の名誉住職 瀧口光賢僧正が遷化され、その葬儀が執り行われました。

光賢僧正は、愛知県稲沢市の生まれ。
常福寺の先代 日見光雄僧正に師事され、昭和5年に出家。常福寺にて加行、総本山長谷寺に於いて灌頂。本山で修行に励むも、日中戦争・太平洋戦争と続けて出征。戦地で辛酸を舐め、復員後まもなく今の仏土寺に入寺されました。

その後、寺坊の檀務を勤めながら境内を整備。さらには、常福寺の代務住職、蓮勝寺・蓮花寺、その他6ヶ寺もの代務(兼務)住職を勤め、長い間その法燈を守ってくださいました。

柔らかな物腰のご老僧で、伊賀の古老のお一人として、多くの方に親しまれました。

常福寺の檀家筋でも、高齢の方は皆さん光賢僧正をご存じで、「小さい頃に世話になった」「悪さをして、よく怒られた」など、今尚その思い出話をよく耳にいたします。

常福寺に入寺した私を、温かく迎えてくだったことが記憶に残っています。
本山修行時代、奇しくも私の祖父と一緒に修行に励んだそうで「そうか、井上くんの孫か」と、当時の思い出話を懐かしく語ってくださいました。

世壽97歳、法蠟(僧侶の勤続年数)83年。
晩年は病床に臥しておられましたが、戦中戦後の動乱の時代を生きられたご老僧の大往生であります。



常福寺からは、住職が会奉行、私は寺院受付として通夜・葬儀のお手伝いさせて頂きました。台風27号が近づき天候を危ぶみましたが、なんとか出棺まで雨が降らず、滞りなく式を進めることができました。

古老より受け継がれた法燈を、今度は私たちが守っていかねばなりません。

常福寺法類の長老 光賢僧正のご冥福を心よりお祈りいたします。

合掌

愛知・岐阜・三重の三県に拡がる東海三十六不動尊霊場を、檀信徒の皆さまとお参りしている常福寺巡拝団。第5回は、名古屋市内の残り6ヶ寺を参拝しました。


第5番 甚目寺は、推古天皇の御代に開創された古刹。広い境内には、国宝の仁王門、重文の三重塔の他、諸堂が並びます。

山門を潜ると、恰幅のいい禿頭の御仁から声を掛けられました。

「皆さん、どちらからお参りになられた?」
「三重県の伊賀から来ました」

「お不動さんのお参りかね?」
「そうです。東海三十六不動霊場」

とここまでは、お参りでよく有る風景。
すると御仁から意外な言葉が。

「伊賀なら、常福寺さんは知っとるかね? 確か札所になっとるけど…」
「えっ、うちです! 私たちがその常福寺の参拝団です」

と驚きの声を上げました。

種を明かすと、この方はお寺出入りの仏具屋さん。
常福寺の現住職 織田杲深の実家に当る延命院さん(名古屋市錦)に出入りされており、そこで噂を耳にされていたそうです。

見知らぬ土地ですが、師僧にとっては産まれ育った馴染みの場所。不意に挙がった寺坊の名前に、不思議なご縁を感じました。



第10番 宝生院。通称 大須観音の方が分かりやすいですね。
織田信長と徳川家康、二人の天下人も篤く信仰した大寺院は、名古屋では知らぬ人はないくらい有名でしょう。朱塗りの雄大な本堂。前には、大きな幟が何本も並んでいます。

お参りを終えた後は、境内から続く大きな商店街を自由散策。
あちこちの商店から美味しそうな匂いが漂ってきましたが、ちょうどお昼前でしたので残念ながら間食はガマン。今度お参りする機会があれば、色々試食してみたいものです。



第12番 福生院は、繁華街・錦にあるお寺。
陰陽和合・夫婦双身の福神 大聖歓喜天(だいしょう かんぎてん)を本尊としており、境内には、そのお供物である大根や巾着団子(歓喜団)の荘厳が多くなされていました。

歓喜天(聖天)は、十一面観世音菩薩の化身で、不動明王とも縁が深い仏さま。やはり常福寺にも、本堂の三段構えの一つには、聖天さまと十一面観世音菩薩がお祀りされているのですよ。

台風27号が近づくなか、前日は大降りの雨でしたが、名古屋は一日 雲一つない快晴に恵まれました。常福寺巡拝団でお参りする際は、有り難いことに、毎回 よい天候に恵まれています。きっと、参加されている皆さんの日頃の行いが良いのでしょうね。

さて、東海三県のお不動さま霊場巡りも、いよいよ回を重ねて参りました。
次回の霊場巡拝は11月末。知多~三河方面を一泊でお参りして、満願となる予定です。

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プロフィール
HN:
和光さん
性別:
男性
職業:
副住職
趣味:
読書、息子と遊ぶこと
自己紹介:

真言宗豊山派のお坊さん

大和国は豊山長谷寺の門前町に生を受け、仏縁あって僧侶に。
伊賀国は江寄山常福寺の副住職になりました。

現在檀務と共に、ご詠歌、声明ライブ、豊山仏青、歩き遍路など、色々活動しております。
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