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三重県伊賀市 本尊五大明王の祈願寺 
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5日は、長谷寺を訪問。午前中に青少年研修のお願いをして、午後からはご詠歌の検定。いつもの通り大河内さんと一緒に検定員を勤めてきました。

続く6日7日は、また東京に移動。音羽・護国寺にある宗務所で、護摩(ごま)の講習会に出席しました。真言宗の大きな特徴の一つが加持祈祷。常福寺でも、初護摩は大きな行事ですので、この機会に復習したいと思い参加しました。

護摩祈祷 @常福寺護摩とは、古代インドで生まれ、チベット・中国などを経てわが国に伝来した密教の一大秘法です。
特別に構えた護摩壇の炉の中に五穀・五香・香油などの供物を投じ、それらを焼いて仏に供養する修法で「焼施」や「焚焼」という意味のサンスクリット語「homa(ホーマ)」の音訳であります。

元々は、バラモン教の火天アグニに行う「火の供犠」が密教に取り入れられたもので、供物を炉の中に投じるとそれらが火焔となって天上に上り、天の諸神の御口に達し、諸神はそれに応えて人々の願望を叶えてくれるという信仰に基づいています。

密教においては、規則通りに護摩壇を設けて、本尊様(主に不動明王)をお招きします。仏の智慧の火で木々を燃やすことによって、衆生の心の垢(煩悩)を焼き尽くすことを観念するのです。それによって、すべての不幸や災難の原因を取り除くこと(攘災招福)はもちろん、さまざまなお願いごとの成就、そして高い精神の解脱の成就(即身成仏)を得られるように考えられたものであります。

講師の登坂高典師には、2日間に渡り熱心にご指導を頂きました。壇の荘厳から、観念、所作に至るまで、この講習会で再確認した事柄をしっかり実践していきたいと思います。

 護摩に興味がある、また参加してみたい方は…、江寄山常福寺HP
  メニュー 年間行事→初祈祷護摩供へお進みください。
  燃え上がる護摩の炎と、青年僧侶の力強い声明を体験してみませんか?
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私たちがよく読誦するお経の一つに、開経偈というものがあります。

 無上甚深微妙法 百千萬劫難遭遇
 我今見聞得授持 願解如来真実義

偈(げ)とは詩のこと。開経偈とは、文字通りお経を読む際にお唱えする言葉をいいます。意訳すると「この上無くとても素晴らしい仏法は、百千萬劫という悠久の時間を費やしても遭い遇うことは難しい。私は今、それを見聞きし学び自分のものとする機会に恵まれました。願わくは、如来の真実の教えを理解できますように」となります。

「劫(ごう)」とは時間を表す単位のこと。諸説ありますが、ある学者が計算したところ一劫=一〇〇億年となったそうです。一〇〇億年というと、ビッグバン理論による宇宙の年齢とほぼ同じ。その一劫を百千萬回も数えるのですから…なんだか途方もないことになってきましたね。

この百千萬劫について、闇雲に大きな数字を並べているようですが、私は、実は納得のできるものではないかと考えています。

地球誕生より四六億年。この星には幾多の生命が生死し、受け継がれた命はさまざまに進化して今なお躍動しています。現在、人類だけで七〇億人弱。動物や昆虫・魚や植物を加え、さらに過去に思いを巡らしてみると、その数は爆発的に大きくなるでしょう。

要約しますと、地球に誕生した星数ほどの生命の中で、たまたま人として平和な時代の日本に生まれ、仏法に触れる機会を得た。今このブログを読んで下さっている、それこそが奇跡。まさに百千萬劫分の1の確率ともいえる『法縁』あってのことなのです。

皆さま、さまざまなご縁があって今を生きておられる。私も仏縁あって伊賀の地の住職となりました。人知の及ばぬ『法縁』によって出会いがあり別れがあります。有り難いご縁に感謝しながら、日々を送りたいものです。  合掌 

※ 依那古仏教団の教化誌『法縁』第85号に寄稿したものを加筆修正しました。
西国巡拝の折、檀信徒の皆さまと、本堂でいつも一緒にご法楽をお唱えしています。内容は、般若心経を中心とした簡単なもの。皆さんずいぶん慣れてこられて、大勢でもすらすらとお唱えすることが出来るようになりました。
 
般若心経は、大乗仏教の「空」の思想を説いた経典の一つ。正式には「仏説摩訶般若波羅密多心経」といって、直訳すると「仏さまがお説きになられた悟りに至る素晴らしい智慧のお経」という意味になります。僅か300文字に満たないその経文には、悟りに至るための正しい心の持ち様(般若の思想)が記されています。

西国三十三所霊場にも、六波羅密寺(京都)というお寺があります。こちらは、市聖・空也上人が開創された歴史あるお寺。六波羅密とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧のことで、さしずめ「悟りに至る六つの実践」という処でしょうか。

悟りに至る智慧とその実践。総てを行うことは難しいかもしれませんが、まずは出来ること、簡単なことから始めてみては如何でしょう? 人に笑顔で接すること優しい言葉使いをすることも、立派な布施行です。
今日は、彼岸の入り。
彼岸とは、春分の日と秋分の日を中日とする1週間のことを指します。
昼の長さと、夜の長さが同じになる時。太陽が真東から昇って、真西に沈む頃。
「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉は、あまりに有名です。

彼岸とは、そのまま読むと「彼(か)の岸」 「向こうの岸」を意味する言葉です。
対になる言葉は、「此岸(しがん)」 私たちが、今生きているこの世界こそが「此(こ)の岸」 つまり彼岸とは、三途の川を隔てた向こうの岸。すでに亡くなられた御魂の住まう仏さまの世界のことを表す言葉なのです。
 
74011edd.jpg古来仏教では、西方に極楽浄土があると信じてきました。自分の親や祖父母、家族、大切な人々の魂が、没後も彼の地で安らかに過ごしている。
太陽が真西に沈むこの彼岸の時期に、その方々に受けたご恩を感謝し、そのお蔭でいま自分がこうして生きていることを感謝する。彼岸には、そういう宗教的な意味があるのです。

80ccba3c.jpg「吾(われ)、ただ足るを知る」 
私の好きな言葉の一つです。

「知足」の反対の意味をなす言葉は、「貪欲」。
仏教では、煩悩の根源である三毒の一つに数えられています。
お釈迦さまも、「足ることを知る人は、心は穏やかであり、足ることを知らない人は、心はいつも乱れている」と言葉を残されています。

野生の肉食動物は、自分たちが生きていくために必要な量しか食べない。
つまり殺生をしても、最低限の本当に必要な命しか殺さないのです。

かたや私たちの日常は、どうでしょう。
商店にはあまたの食料が溢れ、同じ地上に飢えて苦しむ人々がいても、
それから目を背け、豊かさという慢心によって、毎日多くの食料を破棄している。

「もっともっと」という欲求が、経済の大きな動力なのかもしれません。
満足してしまったら、そこで成長が止まるのかもしれません。
ですが、本当に必要なものは、もう足りている。
そう思えることも、大切なことだと思うのです。

写真: 京都 龍安寺のつくばい

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プロフィール
HN:
和光さん
性別:
男性
職業:
副住職
趣味:
読書、息子と遊ぶこと
自己紹介:

真言宗豊山派のお坊さん

大和国は豊山長谷寺の門前町に生を受け、仏縁あって僧侶に。
伊賀国は江寄山常福寺の副住職になりました。

現在檀務と共に、ご詠歌、声明ライブ、豊山仏青、歩き遍路など、色々活動しております。
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