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三重県伊賀市 本尊五大明王の祈願寺 
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「靴を考えたのは、きっと優しい人だと思う」
 
 先日、お会いしたある方からこんな話を聞かされました。曰く、靴がなければ、足が痛くて長い時間歩くことはできない。先日の大雪の日などは、冷たくてきっと霜焼けになってしまうだろう。だから、靴を考えたのは、きっと優しい人。自分と他人の足を気遣える人なんだと。
 
これを聞いて私は、目からウロコが落ちる思いでした。なるほど…、実は私も同様の考え方をよくするのですが、それは「〇〇を考えた人は賢い。偉いなぁ」という知恵のみを感心するものでした。
 
同様の考え方をしても、私は知恵のみ感心して、そこに秘められた優しさに気付けなかった。どれも確かに素晴らしい知恵なのですが、その知恵が生まれる前提にはまず優しさ(慈悲)があればこそだったのです。
 
*「そも真言のみ教えは、智慧と慈悲とを統べ給う」
 
仏教が説いている、智慧と慈悲の大切な教え。切り離せない2つの繋がりのヒントが、この会話によって得られたような気がしました。
 
いま私たちは、さまざまな文明の利器を享受して生きている。電車、自動車、飛行機、テレビ、電灯、冷暖房、ガス、水道…。あることが当り前の生活になっていますが、それらのうち、優しさによって生まれたものはいくつあるのでしょう。
 
きっとその数は、私たちが想像したより多い筈。いま私たちは、さまざまな先人の智慧と慈悲の恩恵を受けて生きているのですね。
 
* 豊山流御詠歌 「真言みおしえ和讃」の最初の一行を抜粋しました。故 名取盛雄師が作詞作曲された、真言宗の教義をわずか六節の優しい言葉と曲調で表現された名曲です。
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私が住職を兼ねている蓮勝寺は、地元の仏教団に属しています。

9つのお寺が集うその団体は、新春の寒行に始まり、物故者法要や檀信徒研修会、そして教化誌発行などの活動をしています。9ヶ寺の宗旨は、真言宗4、天台宗2、禅宗2、浄土真宗1と、真言宗が最多です。うちのお寺も真言宗。今回は、真言の教えについてお話したいと思います。

そもそも仏教とは、今から二千五百年ほど前に、インド(現ネパール)で悟りを開かれたお釈迦さまの教えを指します。現在日本には数え切れない程の宗旨がありますが、仏教である以上、その根源には必ずお釈迦さまがおられます。

真言宗は、弘法大師空海が唐(中国)に渡り、当時最新の仏教であった密教(みっきょう)を持ち帰ったことがその始まりです。金剛頂経と大日経、両部の異なる密(みつ)の教えを一身に授かった空海は、帰国後その教義を再構築し、真言密教を完成させました。

没後千年を経た今もその信仰は失われず、お大師さまのお徳を慕い高野山や四国霊場をお参りする人波は絶えることがありません。真言宗開祖として、我が国でその名を知らぬ人はないでしょう。

さて、真言宗と他宗の異なる点は何でしょう。沢山ありますが、第一に「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」が挙げられます。真言密教は、それまでの厳しい修行の果てに悟りを求める仏教、来世において救済される仏教をさらに昇華させ「この身をもって仏と成る」という思想を完成させました。

この宇宙の法則、地球の森羅万象、大自然の神秘こそが仏の働き、大日如来という普遍の仏である教え。仏の働きの中を生かされている私たちは、既に仏そのものであると説く思想は、古来多くの人々に信仰され大切に守り継がれてきました。「即身成仏 密厳国土(みつごんこくど)」の言葉通り、私たち一人一人が仏に成るならば、この世界がそのまま浄土(極楽)になるのです。

では、どうすれば仏に成れるか。それは、難しいことではありません。

お寺にお参りして、合掌してお経を読む。先祖の菩提を願い、自己を見つめ直す機会を持つ。和顔愛語で、仏さまのように生きてみましょう。自分の人生を極楽にするのも地獄にするのも、本人次第です。折角ですから、極楽の人生を歩みたいものですね。 

※ 依那古仏教団の教化誌『法縁』第86号に寄稿したものを加筆修正しました。
今から15年前。私が大学を卒業して、本山研修所で修行をしていた頃のこと。

長谷寺におられる五人の執事さまのなかに、その方はおられました。どっしりとした大きな方でした。性格は、温厚というか、どちらかといえば物静かな方だったように記憶しています。
教務部で、私たち学生や、寺院関係の団体参拝を担当されていました。お檀家さま方の対応やご接待で、よくご一緒させて頂いたように思います。

その方は、ほかの執事さまとは少し違いました。
お帰りになる団体さまを、必ず駐車場まで降りていって見送る。相手を見送るときは、先方のお姿が見えなくなるまで手を降り続ける。「もう少し手を振り続けてごらん。すると、相手は必ず振り向く。その時、長谷寺のお坊さんがまだ見送ってくれていることに相手は感動されるんだ」先生のお言葉通り、お客さまはある位置でくるりと振り向く。それは、まるで魔法を見ているようでした。

私たちの研修中に、先生は任期を終えて自坊に戻られました。
その後、東京に出張をされる際、飛行機に乗ると速いのですが、必ず陸路で移動されていました。聞けば「飛行機に乗ると、自坊と長谷寺の上を通過してしまうから。なんだか本尊さまに申し訳なくて」とのこと。単に飛行機嫌いという噂もありましたが、行き帰りのどちらかには、必ず長谷寺によって観音さまに手を合わせてお帰りになっていたように思います。

先生は、残念ながら早くに亡くなりました。行年は存じ上げませんが、まだまだお早いご遷化であったように記憶しています。

人を形成する大きな要因には、出会いがあります。さまざまな人に出会って、いい意味でも悪い意味でもその影響を受けて、自分で取捨選択することによって人格を形成していく。尊敬できる素晴らしい人に出会えたことは、人生の喜びであろうと思います。
在家出身の私にとって、先生は手本とすべき本物の僧侶の一人でした。短くか細いご縁でしたが、有難い出会いでありました。

四国霊場 第36番 清瀧寺今回、四国を巡拝して、久しぶりに先生のお寺をお参りしました。先生のご子息は、長男次男さん共に私の先輩であり、どちらも宗派の第一線でご活躍されています。今回の巡拝では、先生の奥さまにもご挨拶いただき、懐かしい思い出話をさせて頂きました。

参拝を終え、お寺を後にするとき、送迎タクシーの車内から振り返ると、奥さまとご子息の姿が。私たちの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けてくださっていました。

受け継がれる先師の心。一僧侶として、寺院として、鑑とすべきご接待を受け、自分ももっと頑張らねば!と奮起しました。
お彼岸に入りました。田んぼの畔道や川の土手、お墓など、各地で「彼岸花」が燃えるような赤い花を咲かせていることでしょう。
 
06cfedc9.jpg彼岸花には、千を超える異名があるそうです。
「葉無草」の他、「墓花」や「死人花」「狐の松明」など、不気味な名前が多いのですが、仏教では「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」といって、彼岸(浄土)に咲く縁起のいいお花とされています。(ちょうど、「光明」秋号でも紹介されていますね。)

不吉な名前が多いのは、どうしてでしょう? 開花期に葉を持たないから?
鮮やかな赤い色が血や炎を連想させるから? お墓によく咲いているから?

一説には、彼岸花の鱗茎に含まれているアルカロイド系のリコンという毒が関係しているそうです。強烈な刺激があるため、虫やモグラ、野ネズミが嫌がって近寄らない。古くは、彼岸花のでんぷんで作った糊は、表具や和服の糊付けなどに使われていたそうです。

そういえば彼岸花が咲いているところは、田んぼの畔や、川の土手、お墓など、人間の暮らしにとってどこも大切な場所ばかり…。彼岸花は、花の咲いていない時も、害虫や野獣から私たちの暮らしを守ってくれていたのですね。

不吉な名前が多いのは、子供たちに「有毒な彼岸花の根を、むやみに触らせない」ための方便だったのです。確かに、子供たちにはその方が効果覿面だったことでしょう。

何気なく咲いている彼岸花にも、先人の知恵が込められている。この他にも諸説あり、なかなか奥の深い花のようです。お墓参りの傍ら、ほんの少し彼岸花にも眼を向けてあげてください。

お彼岸について詳しく知りたい方は…、コチラ をご覧ください。
先月末は、青少年研修会や地元の地蔵盆などで、大勢の子供たちと接する機会がありました。個人的に、最近の子供は挨拶もろくにできないという印象がありますが、こちらから声を掛けてあげると、少し照れながらもちゃんと答えてくれます。子供の性質は、本来は純粋なもの。挨拶がきちんとできないのは、その親が悪いのでしょうね。

長谷寺 十一面観音菩薩観世音菩薩の功徳を説く『観音経』の中に、「慈眼視衆生(じげんししゅじょう)」という言葉があります。有名な言葉なので、皆さん一度は聞いたことがあるのではないでしょうか? 

観音さまは、とても慈悲深いほとけで、諸難に苦しむ私たちの元に駆けつけ、さまざまな姿に変化をして救済してくださいます。私たちが、悩み苦しむ時、救いの手を差し伸べてくださる方は、みんな観音さま。「慈眼視衆生」とは、観音さまが私たち(衆生)を見守ってくださっている眼差しを表す言葉なのです。

大勢の子供たちと接していると、子供は本当に「宝物」であると実感できます。
家族はもちろん、地域の宝、国の宝。心無い親が幼い子供を虐待死させるようなニュースをよく耳にしますが、それは万に一つの割合さえない珍しい事例。圧倒的多数の親や家族は、子供に絶対の愛情を注ぎ、その生命を大切に育んでいるのです。

青少年研修会のリピーターの子供たちに再会すると、この1年間の目覚しい成長ぶりに驚くことがよくあります。一人一人の健やかな成長がとても眩しく、嬉しくてつい眼を細めてしまいます。観音さまには比べるべくもありませんが、地域の大人たちも、私たち有縁の存在も、確かに「慈しみの眼」をもって子供たちを見守っています。

写真: 長谷寺本尊 十一面観音菩薩
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プロフィール
HN:
和光さん
性別:
男性
職業:
副住職
趣味:
読書、息子と遊ぶこと
自己紹介:

真言宗豊山派のお坊さん

大和国は豊山長谷寺の門前町に生を受け、仏縁あって僧侶に。
伊賀国は江寄山常福寺の副住職になりました。

現在檀務と共に、ご詠歌、声明ライブ、豊山仏青、歩き遍路など、色々活動しております。
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