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三重県伊賀市 本尊五大明王の祈願寺 
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今年の干支は、丙申(ひのえさる)
申とは、皆さまご存じ猿のことです。

猿は、霊長目の哺乳動物。ヒト科を除いて総称することが一般的ですが、生物学的にはヒトはサル目の一員。立派な猿のお仲間(霊長類の一種)に他なりません。



猿は、原始的な原猿、中南米の広鼻猿、アジア・アフリカの狭鼻猿、類人猿の4つに大別され、実は熱帯系の動物。私たちに馴染み深いニホンザルは、北限に住まう珍種としてその世界では有名なのだそうです。

賢くて、両の手で物を掴む。二本足で直立して環境に適応するその姿は、私たちヒトの在りし日の姿と言えます。


さて、日本で一番有名な「猿」とは何なのでしょう?

前もってアンケートしたら、ベタな処で、日光の三猿(見ざる言わざる聞かざる)や太閤豊臣秀吉。日光猿軍団に猿飛佐助。『さるかに合戦』の猿など…。その他も、珍しいご意見がありました。

その中から、今回は『西遊記』に登場する孫悟空に注目してみます。
え、日本の猿じゃないって? 確かに中国籍ですが、爆発的な人気を誇る日本の少年漫画『ドラゴンボール』の主人公の方が、今や世界的に有名かもしれません。ここはご容赦いただきましょう。


(少年漫画「ドラゴンボール」の英語版)

西遊記は、中国明代に大成した伝奇小説。
唐の三蔵法師が孫悟空・猪八戒・沙悟浄といった共を従え、幾多の苦難を乗り越え天竺を目指すといった物語。日本でも、数多くドラマ化アニメ化されているので世代を越えて親しまれているお話でしょう。

主人公の三蔵法師は、今から1300年以上昔の中国(唐)に実在した人物。名を玄奘(げんじょう)といって、経・律・論の三蔵に精通していたことから三蔵法師と尊敬を込めて呼ばれました。


若き日玄奘は、仏教の原典・仏跡の巡礼を志して国禁まで犯して天竺への旅に出ます。16年に及ぶ長く険しい旅の果て、多くの人々の助けにより玄奘はインドに至り、求めていた答えを得て、六五七部に及ぶ経典を国に持ち帰りました。

帰国した玄奘はその罪を問われず、人生の全てを持ち帰った膨大な経典の翻訳に捧げました。その作業は亡くなる直前まで続けられ、経典群の中で最も重要とされる経典を完成させた百日後に寂滅の時を迎えました。

玄奘三蔵が最後に翻訳した六〇〇巻に至る経典こそが、今なお日本でも伝持されている『大般若経』  毎年伊賀では、正月の風物詩のように各お寺でお勤めされ、般若の梵風と諸僧の上げる大音声によって、地域の安全と檀信徒の息災を祈念しています。


(私の原典はこれだな。堺正章・夏目雅子 出演のドラマ)

話が少し逸れてしまいました。
西遊記に登場する石猿・孫悟空やその仲間、三蔵法師を狙うあまたの変化妖怪の類はもちろんフィクション。物語として創作されたものでしょう。

しかし、三蔵法師が天竺を目指す長く険しい旅には、苦難を共にする護衛や先導、仲間たちが必ず存在した訳で。ひょっとするとその中には、棒術にすぐれたサル顔の暴れ者が存在していたのかもしれません。そんな空想を膨らませるのも楽しいところです。

ともあれ、日本で一番有名な猿は、仏教の伝来に大きく貢献した猿であったと言えるでしょう。


※ 依那古仏教団の教化誌『法縁』第91号に寄稿したものを加筆修正しました。

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平成28年という新しい年を、日々ご健勝の中に迎えられましたこと、心よりお喜び申し上げます。

文化は急速に進み、物質的に恵まれた生活を迎えられますのは、先徳の精進と各自の努力による「おかげ」であります。

しかし、今まで経験の無い豪雨災害や、地殻変動、火山の噴火、台風の襲来、豪雪による災害等々、逃れられない天変地異による苦しみが次々現れている昨今。犠牲となられた方々のご冥福と、災害に遭われました皆さまにお見舞い申し上げるとともに、本来備わっている「ほとけの心」を見出し、復興にご精進していただく事を念じ乍ら、ご本尊「五大明王」御開帳護摩祈祷法要を厳修し、五穀豊穣・万民豊楽・伽藍安隠・興隆仏法・所願成就をご祈願申しあげ、萬人が平和で豊かな生活ができ、御仏の教えが浸透し、清らかな社会環境が整う事を念じ執り行っています。



お大師さまは、『如実知自心』(ありのままの己を知ること)と申され、「自分の心を知るということは、佛(大宇宙の生命の働き)の心を知る事であり、佛の心を知るということは、つまり大衆の心を知ることである。自分の心も、佛の心も、大衆の心もみんな同じ心である、と分かったとき、大きな悟りを開くことができる」と説かれ、そして貴い命を授けられているという自覚を持たねばならないこと、今生かされている命の大事なことの自覚に生きることであり『己の命を生かしきる』という教えであります。

在ることに感謝することは、明日への希望の基となると思われます。
人は静かに己の来し方を振り返る時「ずいぶん色々な事を経験した。然し、良く此処までやってこられた」と喜びや感謝の心を持てる人になること、その時こそ、その方の歩んでこられた生涯が何ものにもかえがたい一番貴いものとなっていると思います。

仏道を精進して行くことが正しい真言行者の修行であり、真言宗の目指す即身成仏の道を歩む事になります。そして、よりよい生活環境を築きあげることになるのであります。



「春種を蒔かずして、秋どうして実りを収めることができようか」と申された如く、良い種を蒔いておけば、必ずや種は芽を出し、花を咲かせ実を結ぶ日がやってきます。その良い種を蒔くには、己が良い畑を、肥えた畑を持っていなくてはなりません。

人には本来備わっている仏性があります。「まよい」「とらわれ」「ゆうわく」によって隠されている本性を見いだし努力して参りたいと思います。

新年を迎え平穏な、ひときわ良い年でありますように祈念いたしましょう。

                   常福寺住職 織田杲深 執筆

※ 常福寺 正月寺報より転載

今年の干支は、乙未(きのとひつじ)
「未」とは、皆さまご存じ羊のことです。


羊は臆病で、常に群れたがる性質を持ち、逆に群れから離れると強いストレスを受けるそうです。
これは飼育するのに適した性質で、古来より家畜化された羊は、世界中の国々で、羊毛、羊皮紙、羊乳、食肉、脂肪など、多くの恩恵を人にもたらしました。

穏やかで優れた家畜である羊は、人間にとって とても馴染み深い、身近な動物の一種といえます。


人と羊の歴史は大変長く、やはり各国の神話や宗教にも数多く登場しています。
例えばキリスト教では、救世主や王を羊飼いに、導かれる信徒や民衆を羊の群れに準えることが有名です。


(キリスト(中央)と羊の姿で描かれた12使徒)

「迷える子羊たちよ、入りなさい…」
昔のテレビに、そんなお笑い番組がありました。

ギリシャ神話では、オリンポスの主神ゼウスが使わした 翼を持つ黄金の羊や、アルゴー号の冒険に登場する金羊毛などが有名です。


(金色の羊で逃げるプリクソスとヘレー)

最たるものは、イスラム教や仏教など、多くの神話や宗教に共通している「祭祀(さいし)の獣」としての性格でしょう。

古今東西さまざまな宗教で、羊は神への供物、または贖罪(しょくざい)として生贄に使われてきました。

従順な羊は、屠場に入って他の羊が殺されるのを見ても恐れることはありません。自身の番が来ても、一声も発せず、嫌がりも騒ぎもせず、まな板の上の鯉のようにその時を待ちます。

仏教において、物怖じしないその静かな往生は、覚りへ至る清らかな動物として数えられています。

しかし残念なことに、全体的にその評価は低く、多くは本能のままに生きる愚痴無知の卑しい獣と扱われる場合がほとんどです。


せっかく今年の主役(干支)なのに、これでは気の毒ですね。
では、善いことも紹介しておきましょう。

未歳の守り本尊は『大日如来』
金剛界・胎蔵界曼荼羅の主尊であり、森羅万象、この世の理を体現する真言密教において最も重要な仏です。


(胎蔵界曼荼羅の中台八葉 中央に座す大日如来)

干支の守り本尊の中で、未歳生まれの皆さまは、最も徳の高い仏さまに見守られている。こんなに有り難いことはありませんね。

未歳生まれは、羊が群れをなして行動するように、家族の安泰や平和をもたらす縁起のいい存在。その気性は、穏やかで、温かく優しい、真面目で正義感が強いと聞きます。

有り難いことに、私の周りは、父親、息子、義母、住職婦人と、多く未歳の方に囲まれています。今の平和や安定があるのは、実はそういった皆さんのお蔭かもしれません。

以前は、未歳の男子は大切にされても、女子は疎んじられる風潮があったように聞いていますが、そんなものは迷信の類いです。

男子も女子も隔てなく、未歳生まれの皆さまを言祝ぎましょう。


※ 依那古仏教団の教化誌『法縁』第90号に寄稿したものを加筆修正しました。

新年 明けましてお目出とうございます。

皆さま方には、日々ご健勝の中に新しい年を迎えられましたこと、心よりお喜び申し上げます。



年が改まる毎に「今年こそはよい年でありますように」と願っても、官能のまま欲望にふける人生であっては無駄な一生と言うほかございません。

では、私達の人生にとって今、何を求めているのでしょうか?
心豊かな生活を送る為に、お釈迦さまは、三つのことに努力、精進しなさいと説かれました。

 第一は、とらわれの心を捨て、自らを戒め、足るを知ること

 第二は、こだわりの心を捨て、心を落ち着かせ、静かな行動ができるように

 第三は、かたよりの心を捨て、他に惑わされることのないよう、自らの智恵を学ぶこと

世の中、いかに物が豊かになろうとも、仏心が無ければ、人の心は育ちません。どんなに立派な言葉でも、実践がともなわなければ、人は信じ合うことが出来ないように、仏心を行じなければ心豊かな人間の幸福はありません。

「ほとけの心」とは、慈しみを持つ心、哀れみを持つ心であり、即ち他人を尊重し、思いやりのある温かい心であります。
 
三帰依文に「人身受け難く今すでに受く、仏法聞き難し今すでに聞く」とあります。

この世に人間として生まれた深い意味と尊さに気づき、仏法に出会えた喜びを感じ、仏法の教えを聞き精進し、佛の道を得たとき、心豊かな人生となることでしょう。人間が求める智恵と申せましょう。

お大師さまは、人間生活には「四つの利」を知れと諭されています。
第一の利「無病」、第一の富「知足」、第一の親「善友」、第一の楽「菩提」の四つであります。

まず健康に気をつけ、どんな境遇にも満足を身につけ、人が一生を送るため一番助けになる相談相手をもち、人が楽を得るため仏の道を知ることをお示しになっております。

この教えは人間の価値を最高度に高め、現実のこの社会生活の中にこそ浄土ありと、お導きなっているゆえんであります・     

先徳のお諭しを教訓に精進し、み仏のご加護を頂き、与えられたこの命を悔いなく全うして頂きたいと思います。

今年こそはと気持ちを新たにして、皆さまと共に明るく、楽しく、正しく、力強く「大慈悲心」を持って生きようではありませんか。

                   常福寺住職 織田杲深 執筆

※ 常福寺 正月寺報より転載

5月8日は、常福寺の花まつり。

花まつりとは、お釈迦さまのご誕生を祝う法要のことです。
お釈迦さまが誕生されたルンビニーの花園のように、色とりどりの花々を荘厳することがその名の由来。常福寺では、毎年旧暦でお勤めしています。



今年も、午前中は地元保育所の園児たち、午後は観音講の皆さま、夕方から息子の友人たちと、多くの方々にお参り頂きました。

皆さまに甘茶をご接待して、釈尊生誕の逸話を簡単にご紹介。特に幼い子供たちには、解りやすく噛み砕いて話す必要があります。


(観音講の皆さまと息子の友人たち)

さて、お参りの皆さんが帰路につかれて一息ついた頃、
息子から「どうして雨が甘いのかな?」と真面目な質問を受けました。

意味が分からない方に説明しますと、
花まつりは「誕生仏」と呼ばれる赤子の仏像に甘茶を灌いで供養する法要です。お釈迦さまが誕生された時に、天から龍が現れ、甘露を降らせてその誕生を祝福したことが由来になっています。


これは、親子の大切な語らい!と正面に向かい
「逆に、どうしてだと思う?」と質問を返してみました。

「うーん…、なんか神聖な感じ?」と案外 的を得た答え。

子供の着眼点って、凄いですね。
私は気にしたことがありませんでしたが、この機会に改めて考察してみました。


甘露(かんろ)とは、慈雨、恵みの雨のこと。

仏教的には、古代インドで不死の霊薬とされたamrta(アムリタ)が、中国陰陽思想のそれと同一視されたようです。「甘露甘露」と、飲み物が美味である際に用いられることもあります。

「さて、これでは答えにならないぞ…」と推測すること一時。
以下は、浅学な私なりの回答です。


人間にとって、大切な栄養源である穀物や野菜。
それらが育つには、太陽の日差しと、多量の水、そして大地(土)が必要です。
(発芽には、酸素や温度が必要なのですが、今回それは横に置いておきます)

穀物や野菜は、太陽の光を受けて“ 光合成 ”を行います。
二酸化炭素を吸って酸素を出すという有名な働き、学校で習いましたね。

“ 光合成 ”によって“ でん粉 ”が造られ、それが夜の間に分解されて“ ショ糖 ”になる。その“ ショ糖 ”が種・実・根・茎に蓄えられたり全体に行き渡ることによって甘く美味しい作物ができるようです。

現在は科学が進み、穀物や野菜が甘く育つプロセスが解明されましたが、古の時代はどうだったでしょう?

もちろん、当時の人々はそのからくりを知らず、丹精込めれば美味しい(甘い)穀物や野菜が育つと解釈していたのではないでしょうか?

例えば、日照りが続けば、太陽光と大地があっても植物は育ちませんよね。
穀物や野菜を育てるには、必ず一定の水分(雨)が必要になってくる。

分解して考えると、太陽光=甘くない、大地=甘くない、では恵みの雨こそが作物を甘くしてくれる滋養なのだ!とそう信じたのかも…。

ちょっと乱暴な解釈かもしれません(汗)


以上、私なりの考えを息子に伝えると「ふーん、なるほどね!」と納得してくれた様子。
学校の作文にも、父子のやりとりを書いたようでした。

通年の寺行事でも、子供の視点になるとまた異なったものが見えてきます。
息子がくれた鋭い質問。仏教の当り前を見つめ直す、よい機会となりました。


注意:こちらは、浅学非才な拙僧の一考察です。
   正しい回答をご存じの方がおられれば、是非ご教授くだされば幸いです。

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プロフィール
HN:
和光さん
性別:
男性
職業:
副住職
趣味:
読書、息子と遊ぶこと
自己紹介:

真言宗豊山派のお坊さん

大和国は豊山長谷寺の門前町に生を受け、仏縁あって僧侶に。
伊賀国は江寄山常福寺の副住職になりました。

現在檀務と共に、ご詠歌、声明ライブ、豊山仏青、歩き遍路など、色々活動しております。
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