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三重県伊賀市 本尊五大明王の祈願寺 
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66662873.jpg散る桜をみると、どの生命も桜と同じと感じる。
散る花々は一つ一つの生命にしかず、そこには尚、力強く種族・同朋・一族(家族)という幹が残っている。
 
災難に遭い、不幸にも手折れた枝もあろう。
しかし、枝の元にはより太い幹が確かに残っている。そこからまた、新しい枝花が芽を出すだろう。
 
桜が一花散ったとて、「死んだ」と言う物はいまい。
次の春には、子供・孫という名の花がまた咲く。
 
カバラのセフィロト、
北欧神話のユグドラシル、
旧約聖書の生命の樹、
釈尊が悟りを得た菩提樹…。
 
散る桜に、あまたの宗教が説く”世界樹”の姿が重なった。


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謹賀新年。皆さま、本年も宜しくお願い申し上げます。

今年の干支は、壬辰(みずのえたつ) 辰とは、皆さまよくご存知の龍のことです。今年届いた年賀状にも、さまざまな姿の龍が描かれていたことでしょう。

この龍、日本を始めアジア各国では神獣、または神そのものとして扱われる神秘的な存在です。

龍は水中や地中に棲むとされ、嵐や雷雲を呼び、竜巻を纏(まと)って大いに飛翔するという伝説があります。台風や河川の氾濫など、時に猛々しく暴威を振るうことがありますが、基本的に温厚で、天候を左右させる力を持つ善性の存在といえるでしょう。

一説には、古来中国では唯一皇帝のみが五爪の龍の模様を使えたと聞きます。龍が持つ強大な力を皇帝の権力に準(なぞら)えたのでしょうが、なぜ十二支の中に一匹だけ空想の存在である龍が含まれているのか。残念ながら確かなことは不明です。

e486d1d6.jpg仏教においては、インドの水神ナーガ(Naga)を起源とする「竜王」が有名です。
釈尊降誕の際、空から現れ甘露の法雨を降らせたり、悟りを求め結跏趺坐(けっかふざ)する釈尊を守護したり。他にも法華経の会座に列した八大竜王など、龍は仏法の守護神として登場します。


しかし、所変われば品変わる。同じ龍でもこと西洋では全く逆の存在になります。

ef737453.jpg子供向けのゲームによく登場するドラゴン(Dragon) キリスト教的な解釈によると、ドラゴンは、天使と対を為す悪魔、人に害を及ぼし征服されるべき悪竜を指す言葉として黙示録に登場します。

龍とドラゴン。どちらも角や鱗、高い知性と強大な体躯、天候を左右させる神通力を持つなど多くの共通項がありながら、西洋と東洋でその解釈は全く逆転してしまいます。これは、来年の干支である巳(蛇)にも同じことが言えるのですが。


私たちが暮らすこの世界は、あまたの人々が生き、その人の数だけ「常識」や「普通」が存在します。これは、どちらが正しい間違っているという問題ではありません。

異なる文化に対して、自分たちと違うからといって頭ごなしに否定せず、理解して共存する道を探す。弘法大師は「曼荼羅(まんだら)思想」としてその大切さを説いています。

写真1: 仏陀を守護する竜王(ラオス)

写真2: ヨハネ黙示録のドラゴン

※ 依那古仏教団の教化誌『法縁』 第87号に寄稿したものを転載しました。
ある時、一人の少年が大人たちに訪ねました。
「ねぇ、心ってどこにあるの?」

ある大人は答えました。
「心は、脳にあるんだよ。ひとは、脳でものごとを考え判断する生き物だからね」

すると、別の大人たちが言いました。
「いや、心は心臓(ハート)にあるんだ」

「違うよ、体の血肉・骨・臓器全てに心は宿っているんだよ」

大人たちのそれぞれ違う回答に、少年は困ってしまいました。
どの大人の言葉にも説得力がある。でも何か足りないような気もする…。

最後に、これまで口を開かず黙って話を聞いていた一人の青年が答えました。
「私は、心は、人と人との間に存在するのだと思います。生まれてからずっと一人だけでいたら、そこに心は生まれないでしょう」

その言葉を聞いた大人たちは、一様にうなずき感心しました。
最初に質問した少年も、ようやく、にっこり満足げな表情を浮かべました。


これは、豊山仏青WEB委員会での会話を元に起こしたお話です。
先に開かれた恒例のWEB委員会&スキルアップ講習会、そして懇親会などで、私よりも一回りも若い委員さん達と交流して、さまざまなことを学ばせて貰っています。

今の若いお坊さんは、勉強熱心ですよ!! WEB委員会の仲間も、ホームページ編集だけでなく、布教やご詠歌、太鼓など。僧侶として、自分の関心があるさまざまな分野の勉強に励んでくれています。


「心は、人と人の間に存在する」
この言葉を聞いて、私ははっとしました。確かに、自分勝手にワガママに振舞っている状態は、心があるとはいえない。犬猫や畜生と変わらず、本能のままただ生きているだけです。

人を思いやる心、人の痛みが分かる心、人を愛する心…。もちろん正の感情だけでなく、嫌悪や不快、嫉妬、怒りなどの負の感情も含めて、全て自分と起因となる人(存在)があって生まれることでしょう。

正しい心を持つとは、人を気遣い、人に優しく、人の痛みを知ること。仏教の教えは、和顔愛語を始め、己自身を見つめ直すことによってよりよく生きていける、無理なく清々しい気持ちで生活できる智慧が説かれています。

忙しいという字は、「心を亡くす」という文字の組み合わせです。私も、バタバタ忙しく仕事をしていると、ついイライラと神経質になってしまうことがあります。どこか一人きりで仕事をしているならいいでしょうが、毎回それに付き合わされる家族はたまったものじゃありませんね。慌しくとも腹立たしくとも、心を亡くさないでいることが大切です。

これは人間だけに出来ること。簡単ではありませんが、きっと多くの皆さんは、すでに実践されていることでしょう。私のように、少しでも心当たりがある一部の方々、これから正しい「心」を亡くさないように頑張って生きてみませんか?
各地・メディアでまれに目にする「震災復興」という文字。その志を否定するつもりはありませんが、はたして日本語として正しいのでしょうか?

復興すべきは、被災地であって震災ではない。震災というのは、地震による災いだから、文字通り訳すと、

「震災復興=地震による災いが再び(復)興る」

になってしまいそう。
これは、かなり不吉な言葉ではないか?…と常々思っていますが、各地各所で目にするのが現実です。

耳には馴染みませんが、個人的には、むしろ「震災鎮静」や「平安・安静」など宥め鎮める意味合いの言葉が相応しいように思います。「震災鎮静 被災(地・者)復興」で如何でしょうか?


今般、豊山仏青ホームページを編集するWEB委員会でも同じ言葉が使われ、一つ問題提起をしてみました。
国語教師の資格を持つ委員さんに意見を求めたところ、私の解釈にも理解を示しながら

「言葉は、意味は二の次で、定着したもの勝ちという性質がある。
 何が間違いとなかなか言いにくい」

という回答でした。
誠に的を得たお言葉。正にその通りだと大変納得しました。


一昔前、女子高生の間から生まれた「KY」という言葉が流行りました。

「KY=空気が読めない」

あの時も思ったのです。まてよ、空気が読めるも同じ「KY」になるじゃないかと。

KY=空気が読めない
KY=空気が読める

ならば、これは略語として成立しない。しかし、メディアで増幅され、語感がいいから、面白いからみんなが使い出す。果ては、流行語にまでなってしまいました。
(えぇ、私も気が付けば使っていました…(^-^;A )

調べてみたところ、自治体レベルでは「震災復興」という言葉が時折使われているようです。しかし雑誌や新聞など、言葉を慎重に扱うメディアでは、あまり使用していないように感じます。
う~ん、日本語って難しい。やはりこれは、ハッキリと答えが出ませんね…。

私が本山で修行している時、ある先生が仰いました。 

「真言宗とは、真の言葉の教えである。
 だから、真言教師である私たちは、
 極力気をつけて、正しい言葉を発信していく必要がある」

この言葉は、今も金言として私の胸に刻まれています。せめて自分は、真言教師として、正しい言葉を可能な限り伝えていきたいと考えています。
今般、東北・関東など東日本のほぼ全域がその被害となった大震災において、被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げますと共に、犠牲になられた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げます。

皆さま、今回の未曾有の大震災について、それぞれテレビやラジオで情報を得て頂いていることでしょう。
情報が入るにつれ明らかになる被害の大きさ。二次災害といえる相次ぐ火災や、「安全」だと保障されていた原子力発電所のトラブル。東京電力や自衛隊の懸命の対処にも関わらず、飛散される放射能…。

牙をむいた自然の猛威に、刻一刻と悪化をとげる史上最悪の事態に、多くの方が悲嘆と絶望を感じておられることでしょう。

いま私たち日本人、一人一人に何が出来るか。多くの方がそれを自問しています。
しかし、何か役に立ちたい、自分に何か出来ることがある筈だと、熱意ある僧侶が被災現場に赴くも、遺体安置所に近づくことも出来ず門前払いを受けたようです。秩序なき単独行動は、還って混乱をまねくだけ。理性なき行動も、またしかりです。

私の属する真言宗豊山派仏教青年会では、災害後すぐに、援助やボランティアの準備を進めると共に、ホームページなどを活用して関係各方面からの情報収集に力を入れております。
さまざまな情報が入ってきていますが、状況は悲惨なものばかり。確かなことは、今はまだ救援・医療など各方面のプロや自治体にお任せする時期ではないかと。

その後、宗派と組織立って協力を申し出ることによって、それぞれの立場によって可能な援助を行うことができる筈です。
その時こそ、正当な手段で募った義援金を渡す、現地に入ってボランティアに汗を流す、お寺や当地で犠牲者の冥福を祈る、被災者に寄り添うことで心の痛みを和らげる…。

そう、私たちに出来ることはたくさんあります。
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プロフィール
HN:
和光さん
性別:
男性
職業:
副住職
趣味:
読書、息子と遊ぶこと
自己紹介:

真言宗豊山派のお坊さん

大和国は豊山長谷寺の門前町に生を受け、仏縁あって僧侶に。
伊賀国は江寄山常福寺の副住職になりました。

現在檀務と共に、ご詠歌、声明ライブ、豊山仏青、歩き遍路など、色々活動しております。
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