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三重県伊賀市 本尊五大明王の祈願寺 
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前から思っていたことですが…、
科学って不思議ですね。言うことがコロコロ変わる。

例えば、“昔は運動するときに「水を飲んではいけない」と言われたのに、今では水分補給を欠かしてはいけない”と言われる。“「水金地火木土天海冥」と憶えた太陽系の惑星の配列が、現在は「・・・冥海」で、果てはそもそも冥王星は惑星ではなかった”とか、“ニュートリノは光速を超えた、いや超えていない”などなど…。この他にも、さまざまな事柄(常識)が科学によって日々移ろい変わっているのです。

科学によって、今日の正論が明日には平気で覆される。数時間後には、また別の常識が生まれている。しかも、そんな移ろい変化している事柄を、誰もが文句ひとつ言わずに受容している…。

もちろん、科学が「現時点の水準で知りえた知識であって、常に新しい情報に更新されている」ことは存じ上げています。しかし、専門的な知識の乏しさもあるのでしょうが、どうも私たちは科学を素直に(強く)信じてしまう。私はそこに、科学に対する絶対なまでの信仰(盲信)を感じてしまいます。

いわば私たちは、科学という教えを篤く信仰しているのです。


片や、宗教はどうでしょう。
例えば仏教であれば、“思い通りにならない苦しみを受け入れて、与えられた人生を全うする”とか“親や兄弟、周囲の方々に感謝して、他人の為に行動をおこす”“実践のない思いに意味はない”など、さまざまな教えの中に、ブレは全く存在しない。今も昔も変化することなく、同じ教えを説き続けているのです。

しかし、そこに対する人々の信仰はどうでしょう。
これは、私たち宗教者に責任があるのかもしれませんが、私たち宗教者が説くほとけの(神の)教えは、一部の信仰心が篤い方々には素直に受け止められても、家庭的な環境や境遇など、素地のない(信心のない)人々には理解されない、全く相手にされないことはままあります。

科学のように、(盲信に近い)絶対の信頼とは対比することさえ可笑しい、雲泥の差を感じてしまいます。


昨年3月の東日本大震災によって、福島原発が事故を起こし、周辺に住む方々は住まいを追われ、今後数十年に渡り人が住めなくなるという、受け入れ難い悲惨な状況となりました。事態はさらに深刻で、撒き散らされた大量の放射性物質は国内に収まらず、地球規模の汚染被害をもたらしています。

専門の科学者が説く「安全」を鵜呑みに(盲信)した結果、大地震・津波がきっかけとなり取り返しのつかない人災を呼び起こしました。そして現在も、科学者による「安全」「危険」という言葉に振り回されて、国さえも右往左往している状態です。

例えが少し極端かもしれませんが、これもその一例。常々、私は感じています。

常に変化しブレ続ける「科学」と、決してブレずに真理を説き続ける「宗教」
果たして、どちらが信頼に足るものなのでしょうか?


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プロフィール
HN:
和光さん
性別:
男性
職業:
副住職
趣味:
読書、息子と遊ぶこと
自己紹介:

真言宗豊山派のお坊さん

大和国は豊山長谷寺の門前町に生を受け、仏縁あって僧侶に。
伊賀国は江寄山常福寺の副住職になりました。

現在檀務と共に、ご詠歌、声明ライブ、豊山仏青、歩き遍路など、色々活動しております。
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