三重県伊賀市 本尊五大明王の祈願寺
上野農人町 愛染院のご住職 岡森有章大僧正が遷化されました。
愛染院は、常福寺の隠居寺として、法類(お寺の親類)に当たります。
加えて大僧正は、私が常福寺に入る際の縁結びや、結婚式の戒師阿闍梨(チャペルでいう神父さんの役)をお勤め頂いた大恩人でもあります。最近めっきり老け込まれましたが、享年84歳。あまりに突然の別れとなりました。
翌朝、住職と2人で忌中お見舞いに伺いました。集われた法類・縁故の住職さま方と、そのまま葬儀の打合せ。葬儀は、近親の者のみで行う密葬儀と、一般の皆さまにご案内する本葬儀に分け、通夜・密葬の導師は、喪主さんの意向もあってうちの住職が勤めることになりました。
法臈(お坊さんの活動)67年を数える大僧正は、地元の重鎮としては勿論、総本山長谷寺の執事を勤められた他、学校教師として長年に渡り教鞭をとり、さらには日展常連の陶芸家としてその筋では有名な方でもありました。
輝かしい功績をたどると共に、穏やかで愛嬌ある人柄が偲ばれます。とてもお酒が好きな方で、亡くなる2日前までしっかりお酒を味わっておられたとか。ご臨終の際も、まるでお昼寝をするような様子だったそうです。
通夜・葬儀の間、大僧正の弟子筋として、職衆や随喜の席に座らせて頂きました。一角の人物が亡くなって浮き彫りになる関係性。普段、仏青で親しく付き合いをしている友人が、大僧正を通じて兄弟弟子であることが判明しました。改めて、大僧正の結んでくださったご縁に感謝申し上げるところです。
大僧正の通夜・密葬は、近親の者のみでしめやかに厳修いたしました。本葬儀は、上野斎奉閣にて、4月22日(日)に執行されます。
愛染院は、常福寺の隠居寺として、法類(お寺の親類)に当たります。
加えて大僧正は、私が常福寺に入る際の縁結びや、結婚式の戒師阿闍梨(チャペルでいう神父さんの役)をお勤め頂いた大恩人でもあります。最近めっきり老け込まれましたが、享年84歳。あまりに突然の別れとなりました。
翌朝、住職と2人で忌中お見舞いに伺いました。集われた法類・縁故の住職さま方と、そのまま葬儀の打合せ。葬儀は、近親の者のみで行う密葬儀と、一般の皆さまにご案内する本葬儀に分け、通夜・密葬の導師は、喪主さんの意向もあってうちの住職が勤めることになりました。
法臈(お坊さんの活動)67年を数える大僧正は、地元の重鎮としては勿論、総本山長谷寺の執事を勤められた他、学校教師として長年に渡り教鞭をとり、さらには日展常連の陶芸家としてその筋では有名な方でもありました。
輝かしい功績をたどると共に、穏やかで愛嬌ある人柄が偲ばれます。とてもお酒が好きな方で、亡くなる2日前までしっかりお酒を味わっておられたとか。ご臨終の際も、まるでお昼寝をするような様子だったそうです。
通夜・葬儀の間、大僧正の弟子筋として、職衆や随喜の席に座らせて頂きました。一角の人物が亡くなって浮き彫りになる関係性。普段、仏青で親しく付き合いをしている友人が、大僧正を通じて兄弟弟子であることが判明しました。改めて、大僧正の結んでくださったご縁に感謝申し上げるところです。
大僧正の通夜・密葬は、近親の者のみでしめやかに厳修いたしました。本葬儀は、上野斎奉閣にて、4月22日(日)に執行されます。
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3.11 東日本大震災より、ちょうど一年が経ちました。
被災地や各寺院、日本中のいたる場所で、犠牲になられた方々の慰霊法要が実施された様子。私の属する真言宗豊山派でも、南相馬市で一周忌の法要が行われました。
仏青を通じてお声が掛りましたが、所用が重なり被災地へ赴くことは適いませんでした。檀務の傍ら、せめて寺坊で物故者の追善・被災地の復興を祈った次第です。
これまで、被災された皆さんの為に出来ることをしようと、仲間に呼びかけ、地元で托鉢(義援金募金)やチャリティ声明コンサートを幾度か行ってきましたが、まだ一度も被災地に入ることが出来ず、どこか申し訳ない気持ちでいます。
元々、関西に住む私たちは、東北と聞くと少し縁遠い印象はありましたが、改めて距離の壁を感じています。
被災された皆さまには、カネやモノだけでなく、実際に近くへ駆け付け、寄り添い、共に歩むような支援活動が必要な時期であろうと理解しつつ、例えば、私が今回の慰霊法要に参加するためには、移動だけで2泊も掛る。日常を投げ出し、思い切った行動を取れない自分にジレンマがあります。
今後も、せめて遠方から、自分にできる形で、支援活動を続けていくしか出来ません。
今日は日曜日。仕事があり、子供をどこにも連れて行ってやれませんでしたが、家族が共に過ごし、寛げた平凡な一日でありました。
被災され、大切な家族を失ってこの日を迎えた方々の心中をお察しすると、胸が締め付けられるように苦しくなります。
もし自分がその立場だったら…、深く絶望してそこから回復する自信はありません。頑張って生きて、明日への希望を見つけて欲しいと切に願いますが、その心が救われる日がいつか来るのでしょうか…。
日本中の全ての人が、さまざまな思いを胸に迎えた3.11
私たちは、何気ない日常に、家族が無事に過ごせることに、心から感謝せねばなりません。
仏青を通じてお声が掛りましたが、所用が重なり被災地へ赴くことは適いませんでした。檀務の傍ら、せめて寺坊で物故者の追善・被災地の復興を祈った次第です。
これまで、被災された皆さんの為に出来ることをしようと、仲間に呼びかけ、地元で托鉢(義援金募金)やチャリティ声明コンサートを幾度か行ってきましたが、まだ一度も被災地に入ることが出来ず、どこか申し訳ない気持ちでいます。
元々、関西に住む私たちは、東北と聞くと少し縁遠い印象はありましたが、改めて距離の壁を感じています。
被災された皆さまには、カネやモノだけでなく、実際に近くへ駆け付け、寄り添い、共に歩むような支援活動が必要な時期であろうと理解しつつ、例えば、私が今回の慰霊法要に参加するためには、移動だけで2泊も掛る。日常を投げ出し、思い切った行動を取れない自分にジレンマがあります。
今後も、せめて遠方から、自分にできる形で、支援活動を続けていくしか出来ません。
今日は日曜日。仕事があり、子供をどこにも連れて行ってやれませんでしたが、家族が共に過ごし、寛げた平凡な一日でありました。
被災され、大切な家族を失ってこの日を迎えた方々の心中をお察しすると、胸が締め付けられるように苦しくなります。
もし自分がその立場だったら…、深く絶望してそこから回復する自信はありません。頑張って生きて、明日への希望を見つけて欲しいと切に願いますが、その心が救われる日がいつか来るのでしょうか…。
日本中の全ての人が、さまざまな思いを胸に迎えた3.11
私たちは、何気ない日常に、家族が無事に過ごせることに、心から感謝せねばなりません。
日付が変わる頃、地元のご老僧、大僧正が遷化されたと訃報が入りました。
法類筋のお寺さんで、私が今のお寺に入る契機を作ってくださった恩人でもあります。最近めっきり老け込まれましたが、確かまだ82,3歳だった筈…。
まだ早い別れを惜しみつつ、3.11がもう一つ別の意味を持ちました。
明日から、また慌ただしくなりそうです。
写真: 南相馬の海
かねて、ブログでもご紹介している永代供養塔。
4月の竣工に向けて工事が進むなか、規約作りや竣工式のご案内、刻名する檀信徒お名前の確認、記念品選定に送迎バスの手配、チラシの校正と、同時進行でもろもろの準備をしています。
宿題の一つとしてあったのが、供養塔に名前を付けることでした。当初、業者からの図面には、ただ「永代供養塔」とあるのみ。個人的には、解りやすくてよいかと思いましたが「やはり固有の名称がないと愛着がわかない」と、住職の鶴の一声。期限付きで、頭を捻ることになりました。
複数の遺骨を合祀する供養塔ですから、シンプルにいくと「佛塔」「舎利宝塔」になりますね。何かいい言葉はないかと、ご詠歌から「同行」「常住」「大悲」「慈音」など、他にも「鎮魂」「魂響」「慈光」「円環」など候補は浮かんでも、いまいちしっくりこない…。
「○○之塔」にするか、「○○大塔」というほど大きくもないし。いっそ「○○廟」にするか、いややはり「塔」だよな…と、しばらくは毎日のように頭を捻っていました。
採用したのは、ひらめきで名付けた「久遠(くおん)宝塔」
久遠とは、永く久しいこと、ある事柄がいつまでも続くことを指す仏教の言葉。まぁ、永代と同じような意味ですね。若いころ耳にした“くおん”という響きが気に入って、ずっと頭の隅に残っていたようです。
建立された供養塔の正面に、刻まれた「久遠宝塔」の文字が光っています。その名の通り、常福寺に永く久しく残る宝塔として、後世に受け継がれていくことでしょう。
写真1: 大雪に立つ久遠宝塔
写真2: 久遠宝塔 刻字
宿題の一つとしてあったのが、供養塔に名前を付けることでした。当初、業者からの図面には、ただ「永代供養塔」とあるのみ。個人的には、解りやすくてよいかと思いましたが「やはり固有の名称がないと愛着がわかない」と、住職の鶴の一声。期限付きで、頭を捻ることになりました。
複数の遺骨を合祀する供養塔ですから、シンプルにいくと「佛塔」「舎利宝塔」になりますね。何かいい言葉はないかと、ご詠歌から「同行」「常住」「大悲」「慈音」など、他にも「鎮魂」「魂響」「慈光」「円環」など候補は浮かんでも、いまいちしっくりこない…。
「○○之塔」にするか、「○○大塔」というほど大きくもないし。いっそ「○○廟」にするか、いややはり「塔」だよな…と、しばらくは毎日のように頭を捻っていました。
久遠とは、永く久しいこと、ある事柄がいつまでも続くことを指す仏教の言葉。まぁ、永代と同じような意味ですね。若いころ耳にした“くおん”という響きが気に入って、ずっと頭の隅に残っていたようです。
建立された供養塔の正面に、刻まれた「久遠宝塔」の文字が光っています。その名の通り、常福寺に永く久しく残る宝塔として、後世に受け継がれていくことでしょう。
写真1: 大雪に立つ久遠宝塔
写真2: 久遠宝塔 刻字
すぐに、玄関や参道・本堂欄干・車坂を一通り雪かき(掃き)しました。
この雪では、お参りされる方も控えるかもしれませんが、そこは迎える側の心構え。万が一事故でもないよう、最低限の気遣いをしたいところです。
これだけ積もると、やはり雪の重さを感じます。作業を続けていると、汗も噴き出てくる…。改めて、雪国の苦労を偲びました。
家族で雪合戦、やり出すと面白くて夢中になってしまいます。しばし童心に帰れて、とても楽しい時間を過ごせました。
今月初め、クレーン付きの大きなトラックと数代の作業車が常福寺境内に入ってきました。
件の永代供養塔 に用いる梱包された石材が、手際よくいくつも荷降ろしされます。聞けば、中国で設計図通りに切り出されたものが、海を越えて届けられたそう。
いよいよ本体部分の組み立てが始まります。
今回は、施工業者 川本商店 から、6名の石工さんが出張して組み立てしてくださいました。石材はとても重量があるので、一つ一つの組み立てにも事故のないよう細心の注意を払う必要があります。
ところが、寒さが一番厳しい季節に加え、作業開始より雨降り雪降り、まともなコンディションの日がほとんどありません…。寒風吹きつけるそんな毎日でしたが、石工さん達は手を休めず作業を進めてくださいました。
接してみて感じたことですが、皆さんとても礼儀正しくて、作業を見学するなかもとても気持ちのいい職人さん達ばかりでした。
やはり、ちゃんと仕事の出来る人は挨拶もしっかりしている。
「人と人との繋がりは、まず挨拶から」
そう感じて、日々檀信徒の皆さんにもそう発信している私は、その姿勢にとても感銘しました。一期一会、わずか数日のふれあいでしたが、気持ちのよい人々との交流は人生の喜びでもあります。
都合5日に渡る作業を終え、石工の皆さんは帰路につかれました。残されたのは、建立され、細部まで美しく磨かれた供養塔。最後まで、まこと丁寧な仕事をしてくださいました。
さて、塔本体はこれでほぼ完成。これから、敷石や結界を施工していきます。
いよいよ本体部分の組み立てが始まります。
今回は、施工業者 川本商店 から、6名の石工さんが出張して組み立てしてくださいました。石材はとても重量があるので、一つ一つの組み立てにも事故のないよう細心の注意を払う必要があります。
ところが、寒さが一番厳しい季節に加え、作業開始より雨降り雪降り、まともなコンディションの日がほとんどありません…。寒風吹きつけるそんな毎日でしたが、石工さん達は手を休めず作業を進めてくださいました。
接してみて感じたことですが、皆さんとても礼儀正しくて、作業を見学するなかもとても気持ちのいい職人さん達ばかりでした。
やはり、ちゃんと仕事の出来る人は挨拶もしっかりしている。
「人と人との繋がりは、まず挨拶から」
そう感じて、日々檀信徒の皆さんにもそう発信している私は、その姿勢にとても感銘しました。一期一会、わずか数日のふれあいでしたが、気持ちのよい人々との交流は人生の喜びでもあります。
さて、塔本体はこれでほぼ完成。これから、敷石や結界を施工していきます。
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性別:
男性
職業:
副住職
趣味:
読書、息子と遊ぶこと
自己紹介:
真言宗豊山派のお坊さん
大和国は豊山長谷寺の門前町に生を受け、仏縁あって僧侶に。
伊賀国は江寄山常福寺の副住職になりました。
現在檀務と共に、ご詠歌、声明ライブ、豊山仏青、歩き遍路など、色々活動しております。
真言宗豊山派のお坊さん
大和国は豊山長谷寺の門前町に生を受け、仏縁あって僧侶に。
伊賀国は江寄山常福寺の副住職になりました。
現在檀務と共に、ご詠歌、声明ライブ、豊山仏青、歩き遍路など、色々活動しております。
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