三重県伊賀市 本尊五大明王の祈願寺
古い資料の中から、懐かしい写真が出てきました。
昭和59年(1984)は、弘法大師1150年御遠忌の年。当時私は、小学5年生かな? 学校を公休して、長谷寺で催された行事に持幡童(じばんどう)として参加しました。
持幡童とは、私たち衆生と神仏とを繋ぐ神聖な存在だそうです。
そんなことは露知らず、最初は「よしっ、学校を休める!」と邪まな気持ちで快諾したものですが、美しい着物を身に付けて、厳粛な法要に参加させていただけたことは子供心に新鮮な喜びでした。
前を歩かれている緋衣の方は、人間国宝であられた故 青木融光大僧正。仏縁をいただいて、父親と、お寺の住職であった祖父と親子三代でお練りに参加して、大僧正とも個別に記念写真を撮らせて頂きました。
その後、祖父の弟子として仏門に入り、僧侶として修行を積む間に、この写真に写っている他の皆さまとも再会や新しいご縁を頂戴しました。
いま考えれば、この出来事が、酒屋の次男坊として育った私が、お坊さんの道を歩む原点であったと強く感じています。私の人生を決めた一日。こういうものを、確定フラグ(flag)というんですね。
昭和59年(1984)は、弘法大師1150年御遠忌の年。当時私は、小学5年生かな? 学校を公休して、長谷寺で催された行事に持幡童(じばんどう)として参加しました。
持幡童とは、私たち衆生と神仏とを繋ぐ神聖な存在だそうです。
そんなことは露知らず、最初は「よしっ、学校を休める!」と邪まな気持ちで快諾したものですが、美しい着物を身に付けて、厳粛な法要に参加させていただけたことは子供心に新鮮な喜びでした。
前を歩かれている緋衣の方は、人間国宝であられた故 青木融光大僧正。仏縁をいただいて、父親と、お寺の住職であった祖父と親子三代でお練りに参加して、大僧正とも個別に記念写真を撮らせて頂きました。
その後、祖父の弟子として仏門に入り、僧侶として修行を積む間に、この写真に写っている他の皆さまとも再会や新しいご縁を頂戴しました。
いま考えれば、この出来事が、酒屋の次男坊として育った私が、お坊さんの道を歩む原点であったと強く感じています。私の人生を決めた一日。こういうものを、確定フラグ(flag)というんですね。
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プロフィール
HN:
和光さん
HP:
性別:
男性
職業:
副住職
趣味:
読書、息子と遊ぶこと
自己紹介:
真言宗豊山派のお坊さん
大和国は豊山長谷寺の門前町に生を受け、仏縁あって僧侶に。
伊賀国は江寄山常福寺の副住職になりました。
現在檀務と共に、ご詠歌、声明ライブ、豊山仏青、歩き遍路など、色々活動しております。
真言宗豊山派のお坊さん
大和国は豊山長谷寺の門前町に生を受け、仏縁あって僧侶に。
伊賀国は江寄山常福寺の副住職になりました。
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